もの かたりながら ゆく

いにしえ

森羅万象の 動き なりたちが

繙かれず 

いまより 明らかでなかった頃

人は 出来事 不思議の ひとつひとつに

なにかしら 物語を 立ち上げて

その ねっことして 脈絡を つなげて

腑に落としていたのだ

今 科学が発達して

物事の あれこれが 解明などされてゆき

真実はこれであったのだ…と

胸を張り

物語を あれは嘘であったのだ…と 

嘲笑う

真実さえあれば ほかはもういらないのか?

世にあまたある 物語や 

ノンフィクション ドキュメンタリーといわれているものさえ

在る ことを より良く 手にとってもらおうと ある程度の そぎおとし 組み換え 膨らましもあったりして

純粋なる 真実とも言いがたい

言葉に乗せるという時点で 嘘は 始まっているのか?

わたくしも とてもとても「真実はなんであろうか」と 知りたいと思っていた

で…物語という 嘘は 要らない と 思うわけでもなく

もしや より 真実に たどり着ける 手段や 脈絡になり得るから ほしいと思うのであろうか…なんてことも 考えたりもした

でも まてよ そんな手段としての 存在価値で 測ってみているわけではないぞ

真実は 知ろうが知るまいが 確かにまさに実に揺るぎなく 存在しているもので

それはもう きっと ちっこい 脳細胞で みちみちと こねくりまわしても 変わらぬわけで

なれば その上に立って 生きているものとして

そぎおとしくみかえふくらまし

ときには 敢えて 道筋をたがえてみたりもして

そんな脈絡で生きてみる

真実を 探って ほんとはねほんとはね というのではなく

真実の 懐に いだかれて 何をか みて 
その ものを 語ってゆく

ものを語る…を たちあげる

そんな風なことなのかもしれないな と 思う

なんか うまく言えないな

でも 朝 そんな 道筋のようなものが見えたような気がしたんだ…しかも運転中

あぶないあぶない

そんな風に ものおもい かたり これからも ゆくわけです

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