
拗ね…手偏に 幼い なのだが
幼い まっすぐなる不満ではなく
己の手で 幼さを こねくりまわして 素直ではない 心持ちを作り上げてしまうのかもしれないな
その ごねごねのまんなかに
「わたくしにきょうみをもってをみてくれよ」と
なんとも こっぱずかしいほどに 他愛ない思いがあったりして
ははは
笑うね(自分のことをね)
ならば 自分 他人にたいしてそんな風に 注いでいるのか?と 問われたら
それほどないやね
人は それぞれ 自分の「快」に 夢中なのだよ
時折 それぞれの 公倍数 公約数的 ひとときが 寄り合うだけなのだよね
近くにいようと いなかろうと…
拗ねの 落とし前は
誰かに ではなくて
己のなかで…なのだなぁ
結婚生活に疲れた人やら
付き合いのすれ違いを悩む人から
こことこ あれこれ 相談事のようなことが たて続き
わたくしにいったところで なんの解決にもならなかろうよ と言うものの
まぁ 吐き出してよかったわ的な ホッとした表情になるから よしとしよう
拗ねの周辺事情は
わたくし自身が うまくやれてるわけではなくて
むしろ 四苦八苦なんだけどね