感謝のバトン

「感謝のバトン」というのを 託されました

5日間 ひと ものに 関わらず 感謝を 並べて 

最後に 三人の方に 託す…とな

以前 ご紹介した 5days art challenge アートねずみ講の 流れにも 似てますね

託されてから だいぶん 日が経ってしまってます

棚の上に 起きっぱなしにしてて ごめんなさい

これ 韓国の クリスチャンの方が

ネットに 蔓延する 誹謗中傷 負なる悪循環に これではいかんな…と 思いを巡らせて 始めた

幸せの手紙リレー みたいなものらしいです

一部では「チェーンメール」みたいに 有無を言わさず よこされて迷惑なもの とか

「いいことしか並べない スピリチュアルまがいの 暑苦しい 自己啓発」的 怪しいもの とか

そう批判もされてるようですが

ありがたい…てな おもいを 並べることは 素敵なことだしね

有無を言わさず…なんてことは ないわけだしね

渡してくださったのが 素敵な方…粥川登喜子さんだしね

登喜子さん…TAP SHOTS 稽古場を お借りする 窓口にいらした というのが ご縁で 出逢った方なのですが

この方がおられるだけで 安心感があって

ちょ と 交わす 一言二言の 手触りみたいなのが とても好きでした

職場を かわられてから

あまりお会いすることがなかったのに

角田の ナイス居酒屋 Panch での ライブイベントで 再会してから

こちら顔本(Facebook)でも 繋がり

その 思いの発し方

あろうとする 心構えなど

触れるほどに

あぁそうであったのか…と

手のひらを ひた と 心の輪郭に 添うて 置いてくださるような 人当たり…というところへの 合点がいったりもして

とても 素敵さを 再認識しておるところなのでした

ま そんな方に「ぜひ 森さんの 語るものを ききたい」と 白羽の矢をたてていただいた 光栄を 

ないがしろにしてるみたいで

ほんと すんまへん

昔っから 宿題を きちんとやらぬ ぐだぐだな わたくしのまんまですが

そんな ノリのまんま 

のろり と 始めます

めんどくせぇ と 思われる方は

飛ばした方が ようございます

その①「『すべて』への はじまり」

たぶん 感謝してないものは 

ない

すべてがあってこそ の 今 ここ これ なのですが

それを言うと もう なんにも言うことがなくなって

おしまいになっちゃうで

その中から なんとか 選ばねばね

いまここに「もりあやこ」としてあること

生んでもらえたこと

名付けて

育ててもらえたこと

森とは 守りであり

自然の恵み 偉大なる 宇宙の力が 盛られた

いわば 神の言伝てを 守り伝え いのちの ゆくすえ 護りゆく脈 筋 であると きいたことがある

そんな 大枠の ところへ

ぽた と

紛れ込んでしまった感

いのちったら まったくもって いたずらなこと してくれるもんで…

でも何億年もかけて この地で 生きてきた あれやこれやが 習得してきたものの 集大成をも 譲り受けながらの 生ということを 

ぼんやり思いながら

有り難きが ある 光栄やら

「文化を あやなす子になりますように」なんて

また 大それた思いを込めて つけてくれた名前(でも もりあやこ…森文子…しんぶんしと 読めたり ぶんこ 転じて うんこ て 呼ばれたり 幼い頃は この名前も漢字も いまいち嬉しくなかった)

突き放したり 踏み越えたり 添うてみたり 引っ張ってもらったり

そんな 始まりをもらえたことに 感謝 てことに しときましょうか

それは 名付けられたる 一点ではなくて

脈々と 過去へと遡れる 流れでもありますかね?

あまりにも 大枠なもんで

ちょっと ブラックホール的 目眩

次回は も少し 具体的な なんかになれるとよいけど…

長々すんまへんでした

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