「ねば」から逃れて

遠回り…とはいうけど

次に行かねばならぬところへ まっすぐいかなかっただけ

行きたいところへ 寄りながら ゆくことを

遠回り…というのも なんだか 「寄り道すんな」的 考えでも 含んでるみたいですな

人生そのものも そんな感じなんですよ わたくし

先々週も 本日も 行きましたとも

「天然酵母専門店 ベーカリー&カフェ こうあん」へ

どこで見てたんだか とある人々から「また 行ったでしょ」…て言われました

ブログとか 顔本(Facebook)で みた?

先々週のは 画像ものせなかったような気がするけど

文中かなんかで 触れましたっけ?

もうほんとに 書き流して 確認もせんもんで

もう どうにも 思い出せぬまんま

ことほど左様に 慌ただしき日々で ござります

そんな 慌ただしい中

行かねばならないところから 遠いところへ まわる…というのは 

むしろ 切り離されて 切り替えられて なんとなく 仕切り直しできる感じなのかな?

先々週の 父母 不調に加えて 舞台用品仕込み完了せず 本番前に ほぼ徹夜…みたいな状態で「あ♪のねの会」ステージだった日

そのあとすぐにあるはずの ピアノ仕事に 空きができて

六時間ほどの 余裕を

「こうあん」いって 心身満たして

その後 とみや湯ったり苑にて

疲れ ほぐして ぼんにゃり お昼寝して

なんとなく 充分睡眠とったみたいな 気分になって 夕方の ピアノ仕事へと向かったのでした

本日は 多少早めに やってもらった アラビア語 レッスンのあと

こうあんで お昼の 食事して

昼下がりの ピアノ仕事へと まいったのでした

走行距離やら 軌跡を 辿ると

あらあらあら と 自分でも思う

「ねば」から 一時逃れる モラトリアム みたいなもんですかね?

でも 「ねば」だけ 辿ると

心持ち きつきつに なることもあるで
 
まぁ いいやぁ とか 流して

あちこち ふらりふらり

今後とも 続く

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