今年も苺忌

数年前に 名付けてみた 苺忌

母のすぐ下の妹 「いちごがたべたいよう」と言いながら 幼くして亡くなった「妙子ちゃん」の 命日

何故か 今年は 7月3日…と 思い込んでいて

でも 先月 庭の苺を この日のために 摘んで 冷凍していた

顔本(Facebook)思い出機能のおかげで

2日であった!と 思い違いに気づけた

ありがたや…

ばあちゃんにとって ずっと 幼い「妙子ちゃん」は

わたくしにとって おばさんであるとしても

やはり「幼い妙子ちゃん」で

失った存在は ずっと 抱えて生きてゆくものなのだな ということを

幼い頃から 朧ながらも「痛み」というものを 伝えてくれていたなぁ と 思う

コメント / トラックバック 2 件

  1. 三井多美子 より:

    妙子ちゃんは私のすぐ上のお姉ちゃん。私が生まれるずっと前に小児がんで亡くなったって聞いてます。母は妙子ちゃんの話をする時はいつも涙を流してたっけ・・・。父は「妙子は姉妹いちめんこがった(可愛いかった)。頭も一番いがった(よかった)なア」ってそのたびに言ってたよ。わが子を亡くすことがどんなにつらいものか・・・私も親になってみて父母の悲しみの深さがわかります。
    あやちゃんたちに手厚く偲んでもらって感謝です。よろしくね!
    部屋の鴨居に掲げてあったちょっと体を斜めにして深いまなざしの額入りの妙子お姉ちゃんの写真を思い浮かべています。

    • bunbun より:

      妙子ちゃんを はさんで じいちゃんばあちゃんの写真も飾ってある 母の ベッドある部屋
      起きるといつも そこに向かって 拝むような仕草をする母であります

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