命日に 思い出を

ばあちゃん命日

春の彼岸に

あれだけ 徹底して 草引き抜いてても

ざぶ~ん と スギナの 波が 押し寄せてました

まぁ スギナの 海の真ん中に あるようなもんだからね

仕方がない

一時間半ほどかけて ぐるりと 草引き抜きましたる

割れちゃった 湯呑みは

うちにあった どっしりマグカップ(たしか 大学のときに 東北大学男性合唱団と 北海道大学の 合同コンサートのポスターを描いたお礼とかいって お土産にもらった キタキツネマグカップ)に かえた

草むしりに命かけてたような ばあちゃん

すまぬ

うちの庭も もっと大変なことになっとるよ…楽しいけどね

そんなこと ぶつぶついったりしながら

お供えした 手作り林檎ケーキ はむはむして しばし 休憩

帰宅後 ばあちゃんと 写ってる写真を 何枚か 拾ってみる

幼稚園の 敬老の日…ばあちゃん むちうちかなんかか!?

あんちゃが 東京いた頃の ちょい 帰省した 正月(平成五年)

ばあちゃんが ずっと 机に飾っててくれた 二人でとった写真

逝ってしまったときは もう かなしい気持ちは一生なくならないかもしれない なんて 思ってたけど

だいぶ 穏やかに 過ごしていられるようになるものだね

それは 悔しいけど

ありがたいことだ

あちこち なつかしさを 引っ張り出すと

いちいちとどまってしまって

なかなか 次へ 進めやしない

でも また 踏み出すときは

なんとなく 前よりは 胸はって ぐん と 進める気もする

いただいた愛を 思い出すからかな

おまけは 五歳の もりあやこ

手元に 写ってる ローザちゃんバッグが

いまも手元にあるという

捨てられないやつです わたくし

でもね

いらん こだわり 哀しみ 執着は 手放してゆけるようになったのよ

すこぅしずつだけど

すすむ

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