鍛えられますように

ひとつの事実があって

それへ 思いを寄せてくれる 根っこの辺りの 感情は 似たようなもので

それを どんな言葉を用いて 差し出してくれるか…は 色々なわけで

あぁ なんて 柔らかな言葉を選んでくれるんだろう と うれしくなったり

なんで そんな言葉で 片付けてしまえるんだろう と 哀しくなったり…

何を どんな風に 選ぶのか…というのは 

その人を 受け入れるとき とても 大きなポイントではあるのだけど

人のやり方 選び方への わたくし自身の 好みの問題なだけなのだよな

それ棚にあげて

区別差別軽蔑的 心持ちになったり

人を 評価してしまうって

何様だかな わたくし…とか 思う

過去の出来事に 触れて

それについての 言葉選びが それぞれなのを 受けとりながら

わたくしは わたくしなりの 受け取りかたで 選び方で

その出来事を 生きてゆくのだから

人の言葉で いちいち 揺らぐな と

反省を込めて 

まだ 痛む心持ちを なだめたりする

修業が 足りんね

いつか もう少しだけ 越えられますように

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