己の中を 見つめつつ

本日は 自宅

当初は パントマイム稽古に 上京するために

保育仕事 休みにさせていただいてたのだけど

お師匠 はとちゃんまんちゃん 韓国公演のため 稽古は なし

別件 上京案もあったものの

日曜に TENSHO さん パントマイムソロライヴに 上京するので

本日は 己の作品と 向き合う日 に しといた

母は デイサービスお出掛けの日だったし

早々と 茶の間と 応接間の 戸を締め切っておいたし

朝の ムカムカぶつかり合いもあったために

父 全く 話しかけてこず

「牛太郎が 扉の向こう側に行きたがったから」と 一度 開けてきただけ

いつになく 稽古集中できる環境いただけました

…のに

やったことといったら

先日いただいた 振りを もやもやと 覚束無いまんま たどりたどりしたのと

作品の ものと動きとの 兼ね合いや

心持ち 確認しつつ

若干 動きの変更など ひとつ ふたつ

あとは うたた寝

…稽古と言えるのか?

しかし 振り付けの練習と違って

パントマイム作品の 自主練習てのは 作品にもよるのだろうけど

なんだか 地味~に もやん と

んで?どうなんだべ?てな 自問自答が 薄暗く 浮遊してる感じ

詰めてみたり

泳がせてみたり

じっと見たり

薄目にして見たり

よそ見してるとき ふと 合点がいくこともあるから

今は すこぅしの 変化を 受け取ったまんま また 寝かせてみよう

なにかやったようで やらなかったようで

すっきりしたわけでもないのだけど

それでも また 動いてゆく

ばんげの支度の 合間に

ちょ と お茶こ時間

先日いただいた虎屋の 一口羊羮を

二つに切って 父と わけっこ

はちみつ味だってよ と 告げたら

「なんでほだごどすたんだ(どうしてそんなことしたのだ)」と 文句ありげ

虎屋の 羊羮なんだから 虎屋に 言ってくれろ と 返したら

「ちゃっこいのに なんで また 二っつに 切ったんだっつったんだ(ちいさいのに どうしてまた更に 二つに 切ったのだと言ったのだ)」ですと

わたくしも まだ 味見てないから 食べたかったんだでば 仲良く わけっこ やんだごったら 食うな

…と 言い終わる前に 口に 入れてましたけどね 父

ま じゃれあい 再開 仲直りの 証し てことで

まる

朝 どたばたごたごたいらいらむかむか…の 流れののち

母とふたり 向かい合って

デイサービスお出掛け時間まで まだ 間があったので

歌でも 詠んだら?と 差し向けてみる

こことこ 日誌も 書くスペースが あまりないものを用いてるせいもあって 日々の おかずを書き込むだけで

歌詠みも 停滞しているようで

月一度の 歌稿投稿も 四苦八苦しがち

前に 出したものと おんなじようなものばかりになってて

そのあたり ちょいと 気がかり

いつも 前向きでいられないのも わからなくもないのだけど

無気力ぼんやりに 流れがち

そんなあたりに 父も もどかしさとか 苛々しさとか 溜まってしまって つい 母に ひどい言い方をしちゃったりするのだよな

きっかけさえあれば まだまだやれる子ですとも あなた などと おだって けしかけてみる

ふふふ♪て 笑いながら

何首か 書き留めてた

きっと 次の 投稿は 辛くないべよ

桜咲いたら ちょいと お散歩 車椅子ごろごろ行ってみようかね て 思う

あたたかい 風に吹かれよう

一緒に

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