問題の中に 日常あり(吉川彰浩さんより)

そこいらじゅうにつみかさなりちらばる問題のなかに
日常があった
いや いまでも日常がある
時々 見過ごしてしまいたくもなる
立ち止まったり
気にしないようにしてみたり
今日も 生きていく

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ようやくアパートに帰ってきました。
福島市のホテルに連泊し、日中は帰還困難区域になる浪江町津島の家の片付けにいってきました。

当初は1回の予定が、やはり後4年は帰れないとなると思いでの品が欲しくなったり、大掃除をすることに。

盗難対策なんて事もやりました。(まぁ気休めですけど・・・)

まだ、除染は本格的には始まっていないようでした。
お彼岸のお墓参りが終わると、ほとんど無人に・・・・

広がる風景ははるか先まで山です。
民家すらまばらにある程度。
この広大な自然を除染できるとは、正直思えませんでした。

正直、マスクも防護服も着る気になりません。
どれほどの汚染があるかも分からないし
それより今まで犬の散歩なんてしていた道をそんな格好で歩く気には
なりません。

こまかく言えば全身汚染まみれでしょう。
いつも通りタバコをふかしながら歩きました。
コーヒーも片手に

震災前の基準なら自分がおかれている状態は放射線教育を受けた
人間だけが入れる区域です。
当然飲食は内部被ばくを防ぐ為、許されてはいません。

元原発務めの東電社員ですから重々理解しています。
でも、どうでもいいやって気分です。
それより、昔と同じようにブラブラしたいんです。

途中、警察の方とすれ違い、軽く会釈をすると
住民の者だと思われたらしく、素通りしてもらいました。
向こうは少し怪訝な顔はしていましたが

久しぶりに畑に入ると、イノシシがほじった後が散見され
あれだけ皆で作った綺麗な畑は面影もなく
枯葉の絨毯状態の変わり果てた姿に

私が滞在したこの地区は原発になんのゆかりもありません。
全国で行われた市町村の合併の際に浪江町に編入されただけです。
山のはるか先に発電所があります。
距離にして30kmほどでしょうか

少し前に有名になった飯館町の南側に位置します。
上水道はありません。井戸水を飲料水として使うような地域です。

町に流れる川にも行きました。
昔と変わらず川底が見えるほど透き通っています。
見た目だけは何も変わらないのです。

綺麗になった家の居間で家族で食事をしました。
水も火も使えないからコンビニ弁当ですが

皆でここに勝手にすんじゃおうか、なんて冗談を言いながら
水も火も使えないし、トイレもままならない状態でしたが
やっぱり居心地が良くて
ついつい滞在が長引いてしまいました。

もう本当にしばらくは帰れない故郷です。
心の整理はついたとは言えません。
つかの間の震災前の日常を味わいました。

今日はただの日記です。
つまり避難している人達にとっては「日常」と呼ばれるレベルで
こういった事をやってたりしているという事です。

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