「わからない」ということが わかる

稽古をしていて わかったような気になっていたのを越えて
わかっていない自分が わかる
できていないことがわかるようになると 
どうしたら できるか 次のステップを模索することができる。
いわば 次なる進歩の始まりの扉の鍵を 得たようなもんか。
今日あんちゃが「自分の記憶が 混乱していることが なんとなくわかる」
・・・というようなことを言った。すんげえ進歩ぢゃ!
次の瞬間また ひとつの言葉から 独自の話の展開をしたとはいえ
これは 次へのステップに進めそうだね。
病院に入院してる じいちゃんを探しに 行こうとした・・・という 話の後に
もう亡くなって 二十年以上たったよね、ばあちゃんも なくなってから七、八年かな
という言葉に ああ うん・・・と ゆるく うなづく。
自信はないけど そうなのかもしれない と受け取った気配。
明日はどうなるかわからないけど、少しずつ 修正を繰り返していい時期に来たんだね。
明日、手術した お医者から 話しある・・・と連絡あって 身構えるはは。
何言われるか・・・など 気持ちそぞろって
ちちから たしなめられる。
まあ あれこれ勝手に思い巡らせていっぱいいっぱいにならないで
言われたことを まず 素直に受け止めればよいのでは?・・・なんてえと
また「わかったようなこといって」なんて むっとされるから 少し黙る。
「危険な寄り道」をした鳩さまを 引き取りにいらした 細谷さんにいただいた
美味しい お菓子を 分け合いつつ
美味いお茶を入れて 休憩しよう。
明日は ちちはは結婚記念日。
いろいろあったけど ここまでたどり着けたことを 喜ぼう。
生まれて、出逢って、兄と私を 産んでくれて ありがとう・・・だ。

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