つばたさん

本日 メモリアル交流館での ワークショップ前に

間に合ったら 行こう と 思ってたのは

この映画『人生フルーツ』でした

あぁ…

来れてよかった

津端修一さんと 英子さんの ご本は

その ご近所に お住まいの 顔本繋がり みよさんからの 紹介で知った

おととし 修一さんが亡くなったことも 知っていた

東海テレビの ドキュメンタリー番組であったと 聞いていた

そんな わずかな知識で 冷静を装い

静かに たんたんと受け止めようと 観に行った

…のですけれどね

ことばも

表情も

美しすぎて

衝撃とは違う 揺さぶられ方

身体中の水分が ゆったり温められて 膨張して

いつの間にやら 泣いてしまっとった!

ほぼ 最初から最後まで…

日々を ていねいに コツコツと「ときをためて ゆっくり」生きてこられた おふたりの

耕され 育まれ 熟成された日々から

生まれでた 一滴 一滴

こちらで 噛み砕く前に

もう 五臓六腑に 直に 染み渡りましたる

いいあんばいで 付かず離れず添うて 映しとってこられた 制作者の方々の 敬愛の思いから 結んだ 作品

樹木希林さんの ナレーションで 呪文のように 繰り返されるフレーズ

「風が吹けば 枯れ葉が落ちる。枯れ葉が落ちれば 土が肥える。土が肥えれば 果実が実る。こつこつ、ゆっくり。」というのは

プロデューサー 阿武野さんの 作なのだと

まさに そこに 思い 凝縮されてますわ

時代の大きな力に 呑まれず

大事なものを見抜くセンスを お持ちであった 修一さんのエピソード…

台湾から 労働力として 連れてこられた 少年たちと 共に過ごしたこと(判子の逸話)

ニュータウン開発に関わったものとして

やりっぱなしで次々 渡り歩くでなく

思いに沿わないものになっていったとしても その身をもって 理想とする暮らしを その場で 実践しつつ 生きたこと

生きてゆくことを 自分の 心地よさだけでなく

周りを含めた いのちを 核に

実に あたたかく おおらかにとらえてこられたのだな

亡くなられた 修一さんの お顔が しっかりと 映し出されたこと

制作のかたの 生きるということは 死だけを 覆い隠して綺麗事にしない 

だからこそ美しく豊かな いのち 死がある という 腹くくりが伝わってくる

そして そこへ 英子さんが「私これから、一生懸命にやるから、大丈夫だから待ってて。私も灰になったら一緒に南太平洋に撒いてもらおうね。ひとりで寂しいけど、また会えるのを楽しみに一生懸命やりますから。それまで元気に待っていてください。約束してね」と 語りかける

作り事絵空事でなく

たしかな いのちの物語が ここにある

そして それは よくよくみれば わたくしたちの日々にも たしかにあるものなのだ

修一さんの死の 場面でしめるでなく

その 仕業が 後に 結んだ ひとつのエピソードと

それに至る場面の ありし日の姿が 再び 映し出される

それは 亡くなってなお 生きてあり続けること

繋いで引き継がれていかされてゆく 光になる

もう 思い返せば ぐっとくること あれもこれも 思い返されてしまう…きりがないほどに

所々に ちりばめられる 建築家たちの ぐっとくることばにも 心鷲掴みにされた

本来 建築というものは 箱作っとりゃええ ではなくて

どこで どのように よりよくいきるか…の 総合演出家でもなければならぬもの

そんな 立体的に 幅広く 柔軟な 視点をもっておられるからこそ

部分 物質だけではなく 

場所として 人として 名を 残してゆくのだな なんてなことも しみじみ思う

あとからも じわじわと 染みてくる

また 時折 観たくなるだろうな

あらためて ていねいに暮らしたくなるな(雑なわたくしでも)

豊かな 果実の時間

ありがとうございますた

コメントをどうぞ