添うていくため

歳を重ねると

より 濃厚になる 性格部分と

思いもかけない 展開を見せる部分など あったりして

まぁ なんというか

今までこうだったのに

こうであったはずなのに…など 

ついつい おちいりますけんど

生もんですものね…生き物

今どうあるか 受け取ってゆくのだな

過去のことに学ぶのは 大切だけど

パターンに とらわれちゃいかんよな

何度もそう思ったよ

それなのに つい なんだよもうっ!と すれ違い 擦れ合いに

苛…などしてしまうんだな

思ったはずなのに…とはいえ 何度も思い直そう

忘れっぽいわりには そんなあたりの固執…不均衡だね

父も 思いの受け渡しを うまくできなくなったりもしてる

投げ返さずに かわしといて

受け取ってくれていないのかと また 投げ掛けると

「何回もいうなっ わかってるっ!」なんて 声荒げたりして

今朝も うわ…と 思った 出がけのあたり

でもな 返事しねぇと 父が わかったのかどうかってことは 伝わってこねぇんだ ちゃんとこっちに わからせろっ!とか 思うのね

苛立ちのまんま 投げつけたら また面倒なことにもなるで

その思いの 芯を届けるに

どんなもの言いをすりゃ 一番いいのか…

荒げられた 表面の 波に呑まれず

そこにある物事を まるまんま 見つめて受け取って選んでいけたらよいんだよな

心身ともに 余裕がないときは

そんな 悠長なこと いってられないんだけどね

母も 昨夜 自分で ショックを受けるくらい とあることを 忘れ

もういよいよ自分は ボケてしまったのではないか恐怖に 呑まれており

めそ…

そんなところに キャッチボールどころか 通りすがりに 荒々しい物言いなどする父

その言い方やめろや!とか

ぶつけるのも さらに深い穴堀に 繋がるので

あんたら そりゃないでしょうに なにそれぞれで 斜め下向きに 突っ込んでいってるわけ?

春暖かくなったら あれこれやろうって 希望に燃えてたじゃないのよ

まだ 落ち込むの 早すぎるからね

高々 70代後半でさ わはははは と 笑ってみる

「好き勝手に 家空ける お前に言われたくない」とか そんな フレーズがでたとしても

すいませ~ん 勝手しちゃってぇ…なんつってね

泣きたくなったけど 笑った

そのほうが 互いに楽だ

無理がないうちは 笑うんだ

たくさんのこと 忘れちゃってるのは わたくしの方だ

以前 それは「物忘れ外来に行ってくれ」と言われるほどに 心配されたのだけれど

もしかしたら 賢い わたくしの細胞たちが

そのほうが らくちんなのだ♪と

計らってくれてるのかもしれないのだ

要らん「はず」は しがみつく手から はずして

のんきな 楽観は 目眩ましとしてでなく 携えて

今あることを 受け取っていこう

立ち向かうも そらすも

すべて添うていくためのこと

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