あの日からの 思いを

よく通っていたのに

震災後 通れずにいた

海沿いの道

昨年 ドリアン助川さんを 石巻に お連れするとき

2手に別れるところで

あれから通ることができないでいるのだ…と 言ったら

「じゃ ぜひそこを通りましょう」てな

あまりに揺るぎなくいわれて

えいやっと 通ったわけですが

そのあと 自分一人のとき通ったのだったか!?

昨日今日と 石巻の 行き帰り

その 野蒜海岸あたりを 通ったのでしたよ

ぐらぐら…

あぁ あのとき ちょいと ばくばくしたとか

涙滲んだくらいですんだ…てのは

助さんが 防波堤みたいになっていたのでしょう

人と いるというのは

やはり 色々な流れが あちこちに 当たっては 和らいだりする(増幅されることもあろう)ものなのだな

にこにこお仕事前なので

未だにごしゃめしゃありありのところを

敢えて見たり

揺れる心に注目したりせぬ方が…と

平静を装ってもみたものの

平静を装うって なんになるのでしょうかね

…そんなことを思ったり

敢えて見て

揺れる心もうなだれる想いもうろたえも…

まるごと受け止めた上で

にこにこしていきたいのだよね

知った上で

感じた心を携えながら 光に向かいたいわけだよね

そんなことをあらためて 想い噛み締める

届いていないところへも 届きますようにと 願いながら

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