ユング的に 分析しないで

十代 二十代の頃

とりとめなく おさめどころもわからぬ 心持ちを

なんとか 明るみに出して 形 留め置きたくて

なにをか 書いたり描いたり作ったり

糸口になりそうな本…心理学精神分析哲学などを 読み漁った

見事に それらの 詳細 覚えておらず

漁り続けた あの熱情も 残っておらず…

胸のうちの 水底の 砂地泥濘の 底の底に 残っているかも 定かではなく

…とはいえ 時おり 感想感触の 片鱗のようなものが

ぷかり と 浮上するとこみると

もしかしたら 想いやら何やらかの 根っこの先の 栄養分になっているのかもしれないし

忘れ去ったとしても 別にいいやい と 思えたりもする

あ~読んだ♪てな 記憶しかないのって 

すこぅし 情けないけんど

熱情が冷める頃に 思ったことは

西洋文化でまとめられたものにも 通じることはあるけれど

己の おさめどころは やはり 己の 生まれそだった 土や食べ物や 取り巻く人々や 肌に触れている生活文化を 繙きながら さぐるしかないのだな ということであったのよ

文化の違いのなかにも在る 普遍的なことやらは 一理あるけど すべてではないだろうよ

それならば 文献よりも 身の周りの普遍…森羅万象の 仕組みを見つめる方が まだ この身に 近しい

ま それはさておき

先日見た夢で ふと思い出した

かつてユング心理学に基づく夢分析辞典に はまっておった頃に見た夢

よいな♪と思っている人が 二人ほどいて

でも なんとなく 本当は どっちをより 好き と 思っているのだろう…なんてな時期

夢の内容は 

炬燵にあたる わたくしと母

母から「鉛筆貸して」といわれ 筆箱を開けたものの どちらの鉛筆も 芯が折れており それなのに どっちを貸そうかな…と 延々と見つめ悩んでおる という もの

夢分析本によると すべての尖ったものは男の象徴である(いれものなどは 女の象徴である…とかね)てなわけで

本にかぶれていたから 見てしまった夢なのかどうかはわからんけど

あとで あぁ もしかして 思いを寄せていたお方 二人 どちらへも 自分の決め手になるような人でもないのかもしれないな…なんて 腑に落としてみた

己の心持ちに照らし合わせて 腑に落ちるような 分析は 他に ほぼなかったもので

印象に残っておったのでした

んで 先日見たばかりの夢…てのは

色とりどりの 鉛筆があり

そのどれもが しゃり~ん♪と 削り尖ってもいて

あれこれどれでも 使うのだ~ん♪と ご機嫌な夢

…は~

すべてに決め手があるのか…

それがすべてではないにしても

そうかそうか わたくし と 腑に落ちる

こんなこと言うと「人でなしですか?」という 扱いを受けそうな 人間社会に於いて

まぁ なんというか 人でなくて 生き物ってことで…でも ひとには迷惑かけないように生きていく物として なんとかしてゆきます なんて

こっそり 社会の片隅に 息を吐く

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