しみじみと 思い返しつつ

昨日の午前中

あれこれ やらねばならぬ用足し てんこ盛り(あとから思えば さほどではなかったのに 気持ち的に いっぱいいっぱいでした…とほほ)

そのなかで「お花料」の 封筒も 準備せねば と

お襁褓買いの ついでに ツルハドラッグで…と 思ったものの

やはり 地元の 愛すべき 文房具屋「いとや」さんで 買うことにした

会計の時

「あれ?もしかして 桐ヶ窪さんの?」と 問いかけられた

葬儀の場が 教会ということで

お花料の 不祝儀袋を 買い求めるかたが 続いた様子から

そう 声かけられたのだな

それから しばし 世間話的なこと ふたつ みつ

幼稚園からの 幼馴染み 仲良し まるにや こと 桐ヶ窪牧子ちゃん

今や 中学校の 教頭先生だ

かつて いとやさんの 界隈に 住んでいたのだ

中学の時 友人らが 総出演するような リレー小説みたいなのを 三人くらいで書いてて

そのときの 彼女が 自分の登場名を ロシア文学辺りの 影響からか「マーニャ」にしていた

わたくしが 書くのは 番外編的なもので

その名前を変えて「まるにや」通称にしたことから そう呼ぶようになった

その 父上が「天に召された」のだ

「よく 孫さん連れて 来てけったんだよぉ」と いとやさん

孫さん…まるにや妹の 娘ちゃんは うちに ピアノやりにきてくれてるで

「じいちゃん」としての お姿も ちょこちょこと お見かけしていた

温厚で しかし 揺るぎない 芯を持っておられる方だった

素晴らしく育った 娘様 孫様たち見れば

その お人柄の 深さ

改めて しみじみと 感じる

ちょ とした 世間話から

幼い頃

青春時代

そして今へと

緩やかに 縫うように 思いが巡った

ピアノ仕事をするように 音楽へ とどめていてくれたこと
音楽の喜びを 改めて 思わせてくれたきっかけ…まるにやの 存在が大きい

何十年に一人の音楽的逸材と 名高かった彼女を 育んだ 父様の お陰でもあるのだよな

そんなこと しみじみしみじみと 思い

支えてくださってたこと

改めて 最敬礼

どうか 安らかに

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