大好き♪を 伝える

人見知りで

いつも 警戒の シャッターの
覗き穴から 様子をうかがっているような 心持ちでいた

元気にハキハキ 明るく…と見られていたとしても

そんな風に「振る舞って」いた

22年前

約一週間 テーマパークの社員寮に 

泊まり込みの 被り物のバイトにいったとき

前半に パフォーマーとして 招かれていた「まんちゃん」

気づけば なんの警戒心もなく

わ~♪なんて 寄っていってた

ショーを見せてもらう とかなんとかの前から…

なんでこんなに 人見知ってないんだろ?と 

ちみっと 己の心持ちに 驚愕などもして

で 話せば話すほど

まんちゃん自身の 構えとか 鎧とか 体裁を整えるとかよりも

そのもので そこに いる ということ

その 無防備なまでの立ち方…

人見知りって 結局のところ 人と仲良くしたい思いが 強いからこそ

仲良くできなかったら どうしよ とか

値踏みされてたとしたら こわいな とか

そんな不安が大きいってことで

でも 警戒心もなく 値踏みする眼差しでなく

ただ ぽん と そこにいて

相手が どう出ようと そのまんまを 見て ぽん と 受け取ってくれている

なんたる 器♪

だからこその 安心感と 心地よさ

その場で「こりゃ大好きな人だ」と 心身に 満ちた

そのとき 観た パントマイムを交えた ショーは

あぁ こういうの やりたいなぁ と 思って

また 万ちゃんに会いたい てのもあって

いてもたってもいられなくなって すぐに 仙台での パントマイム講習会を 企画して

それをきっかけに 万ちゃんの お連れ合い はとちゃんにも 出逢った

はとちゃんも そんな風

面白がる眼差し

おおらかで でも その裏付けに 細やかな 気遣いがあって…

くうううぅ 

好き♪

一人でも 大好きなのに 二人が 共にそこにいる有り様で

それぞれを もっともっと好きになった

なにかをやっている 何者である…と 名乗れない状態の わたくしに対して

「そのまんまで しかも いろんな人がいる 東京でなくて 田舎町で 生き続けてこられてる…て すごいよ いいよ」て

丸ごと うけとってくれたのだった

そして「森なら きっと 面白がってくれると思うから きてみて」と

なんの前知識もなく その年の秋に 長野県東部町(現 東御市)での 「アジアマイムクリエイション 日韓マイムフェスティバル」に

手伝い…という名目で 交ぜてもらった

そこでであうひとであうひと

みんな そんな そのまんま…

あまりに幸せな出逢い畳み掛けてきて

死んじゃうんじゃないかと 思って

歌舞伎舞台の横の 大木に のぼって

叫んでしまったのだったよ

幸せだ~っ!

…とかね…

あぶねぇやつ

1994年だけで そんなに あれもこれもあったのだったかな?と 思うほどの

怒濤の 出逢いの年だった

出逢う…を くれた 記念の年

そこから 今に至る道のり

生きてきた日々を 色濃くなぞってくれているなぁ と 思う

はとちゃんまんちゃんのこと 勝手に「お師匠」とか よんで

年に一回くらい

酔ったふりして とても大切だ大好きだ を 伝えたりもして

めんどくせぇやつ…とか 思われてるだろけど

こことこ なかなか 酔ったふりして…て 場面もないもんで

こんなとこでいってみた

わはははは

朝からすんまへん

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