きつねっこ

パントマイム作品『夕やけこやけ』で 用いている

狐の お面

パントマイムを始める前かな?

福島駅の 土産物屋で

なんとなく 気に入って 買ったものだった

粗く 素朴な紙でできていて

被りやすさ 動きやすさのため 

目と 顎に 切り込みいれてたら

年月重ねて

そこいら始め

あちこち もろもろめりめり と

接ぎ合わせた紙が 剥がれたり 割れたりしてきてた

だましだましが だませなくなり

この度 補修

母が ちぎり絵やってたときに 使っていた糊(和菓子の材料にも用いられる 天然素材のもの)で

戯れに 捨てずにためておいた 珈琲フィルターを ちぎって 貼った 

かなりの まだら

でもまぁ まだらも 徹底して 斑続けると

なんとなく まとまりを生むものだよな

色んなものが重なり合って

更に 愛着 増すってもんだ 

そして 大事に 愛着持って やってきた 作品

今回は『別の顔』

『とある いのちの こと』

『夕やけ こやけ』

…の 3つだったのだけど

今までの 流れと違う いきさつ 場面 感情 が 生まれてしまい 

あれれ…と

本番中に ちと 素に なってしまいそうなとこ あったのだった

ほんの 些細な 部分的なものだったのだけれど

物語の大筋が 変わったわけでもなく

概ね 同じような感じだったのだけれど

おっと そっちへいくのかそれをやるのか…と 

物語に埋没しているようでも

どっかから俯瞰してるような 意識が

一瞬の 戸惑いを やらかしてしまった

結局 それ やったけどね

思えば なぞらない 大雑把だったところの 思いの内側を ちゃんと撫でよう としたような 動きでもあった

そうか 見えてなかったそこは そんな思いもあったのだったか と

改めて気づくような感じ

漠然としていて申し訳ないけど

作品を生きる てのは

出来上がりをなぞるのではなく

その物語を そのとき また 改めて生きるような感じで

今までと同じく予定通りにはいかなかったりする

なまもの というか

育ってゆくものなのだな と 思う

おのれの 記憶力の 不確かさ とか

稚拙さを 誤魔化したいわけではなく(認めてるよ〜!)

なんつうか 自分でも 計り知れない瞬間の数々が あって

自分でやってるはずなのに

自分のものじゃないような気にさえなって

なんだか とても 面白いのだよ

ともに育ってゆけたらいいな て 思う

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