『鳥肌が』

かつて 乱読活字中毒的で

いつも 何かしら 手近に 本を 携えていて

できうれば ちょいちょい 読みではなく じっくり向き合いたくて(記憶持続力不足てのもある)

書籍礼賛みたいな思いもあって

食べ物と同席させるなんて!と

本を読む場所として 台所は「ありえん」だった

そうこうするうち

じっくり時間なんてもんは なかなかに うちでは確保できなくなり

読書視力に 難ありありにもなり

本を読むことから だいぶ 遠ざかってしまってた

しかし だ

遠ざかってるくせに「本との出逢いは なまものだから」なんつう 思いはなくならず

本を 手に入れ続け

積ん読 サグラダ・ファミリア状態

んで あれこれと 心持ち 切り替わる お年頃…つうか

はなくそこだわり は めんどくせぇ…とか 思うようにもなり

簡易老眼鏡を 味方に

台所読書推進

家におる時

大抵 台所に おる

呼ばられて 出動しやすい 場所だし

椅子と テーブルの 塩梅が

一番 腰によい感じなので

今や 書き物 読み物は ここでしてしまう(自室の机的なところは 今 埋もれてて 辿り着けないのも ありあり)

久しぶりに ほむほむ様…こと 穂村弘さんの本『鳥肌が』(PHP文芸文庫)

あぁ 好きだ!

視点とか

違和感の 繙き方とか

そうそうそれそれそこそこそこ♪と

膝打ちまくりて 痛いほど!

読み終えるの 惜しいなぁ

文庫なのに(失礼!)装丁が 独特

普段 カバーをはずして読んでしまい勝ちなのだけど

ひた と 貼り付くような 手触りのカバー

点字みたいな 表紙の ぷつぷつぷつ…

なんだなんだなんだ!?と

本文にある 日常での 違和感不安感と リンクして

ざわざわする

…これは 狙いなのだな

内容と 通じているようないないような 挿絵も

ひとりでに立ち上がって

ゆらゆらと 存在感を 膨らませてゆくの

挿し絵のあるページの裏には なにも印刷されていないのも

なんだか すごい!

読書カタルシス いただきました

こぼれ落ちてた 納豆の一粒を 裏表紙に くっつけてしまったが

拭けば とれる

さすけねぇ

秋の入り口

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