抽象から呼び起こされる具象

伊藤文恵さんの 舞踏公演

約四十五分間

文恵さんて こんなにも 大きくて 美しい人だったのだなぁ と 

何を今さら…な 思いから 始まった

「らんどせるらんど」という 具体的な ものも登場するものでしたが

やはり 舞踏ですで

そう 一筋縄には ゆかんです

そうは言いつつも

わたくし自身 舞踏 舞踊 ダンス マイム…など 似て非なるものたちの それぞれを 明確に 言い表せるわけではないのですけれど

それでも 敢えて 舞踏と 名乗るものに 表されるというものは

具体的な もの 

出来事 

感情から 踏み出す 表現 

しかし それが向かうところは

具体的な なにかに 貼り付けられないのだなぁ と 思う

…思うのに 揺さぶられた思いを また 具体的な言葉に 繋げようとしてしまう 愚行愚考…お許しくだされ

具体から 揺さぶられた ものを

決まりごと お約束に よりかからず

美しさの 型にも 流し込まず

敢えて 引き剥がして 動こうとする

いつもぢびたに とらわれている 足の裏さえも 解放しながら

解放という名の 自由さと 不自由さに 喜ぶように もがくように

身と心の 隅々まで余すところなく 撫で擦りながら 動いてゆく

共感を求めて 進むよりも

独感の 膨らみゆく先へと 踏み出してゆく

その 独 で ありながら

膨らみの

窪みの

広がりの

やわやわと した 余白に

つい 己の 具体やら 感情やらが 注ぎ込まれそうになる

文恵さんが 求め 表したものが そういうあたりではなかったとしても

わたくしのなかでは

あぁ と 揺さぶられ

響いたのだ

文恵さんが 普段発する 言葉の

飾らなさ

丁寧さが 好きだ

今回の 舞踏公演で

そのあたりの 裏打ちのようなものをも

じわっと 受け取った(つもりになった)りもして

そんな道を 踏みしめている 文恵さんの 
確かなる 力と 潔い美しさを 思う

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