じたばたしながら

あんちゃを仕事へ

母をデイケアへ 送り出し

父の経管栄養も 終了して

すやすやしてるの見届け

ふぅ と 台所の椅子に座ったら

ざぶん と 静けさに 呑まれた

それは ただの静けさではなくて

ちょっと前まで 湿った豆を 大量に 廊下にぶちまけるような 仔にゃんこらの あさの 大騒ぎ時間が 失われた…という 欠落感を含んだ 静けさで

不意に 嗚咽が 噴出した

やべぇ

携帯電話に 来ていたメールを読もうとしたのに

数週間前の 元気だった頃の 仔にゃんこらの写真が 目に留まって

もう とまらん

くっそ〜

もう頻繁に 冷蔵庫と 米櫃の間に ペットシーツ敷かなくたっていいのに

カーテンやら 暖簾よじ登って引き破って 早々降りられない 明り取り窓のとこから とんでもなく足場の悪いとこに 飛び降りて ものものを 崩し散らかされることもないのに

椅子を占領するものがいないから 朝御飯 立って食べなくてもいいのに

なにかしようとすると必ず 飛んでくる 興味津々さんたちがいなくて 作業しやすいのに

…なんてな せいせいポイントを みつければみつけるほど 泣いてしまうのは なんだ?

泣いたってなんにもならないのにね

いや でも なんかになるから泣くわけではないのだよな

わかってる

しばらくはこんなじたばたが続くのだろう

かつて しゃがみ込むような 哀しみに呑まれていたときもあった

それが いつの間にか

しゃがみこまなくても大丈夫になっていった

哀しみの 基になった事実が なくなったわけではなくても

その哀しみの 穴のふちに 足をとられて 滑り落ちこまないようになっただけなのだ

ざらつき 棘など刺さりまくる その縁を

めそめそくよくよもたもたおどおどこわごわ 狼狽え 眺め 撫で しているうちに

いつしか ざらざらちくちくとげとげのところが 

均され

慣らされ

研磨され

生々しい傷は つかなくなり

いつしか

あぁ そうだったね と

すこぅし 距離を取れるようになったのだったかな

うまく かわせないまんま

時間だけが 経っていくようで

わずかに 前よりは ましになれる感じかな

だから「時間が癒やしてくれるよ」なんて わけしりなことも 言い切れず

でもやはり そこいらに のぞみかけるしかないのだな

無様ですとも

はぁ

そんなこんな してるとこに

「ところでご飯は!?」「背中掻いてもらいたい」な お元気さんたちがやってきて

また すこし 煩わしいようで うれしいひとときも過ごせてる

そうそう 金閣くるりんちょを 弔った日に とりつかれたように 収穫した 紫蘇の葉と 実

わたくしにしては 素早く 漬け込んだりもしましたわよ

ぶざまだけど

そんなこんな じたばたしながら 暮らしてゆくんだ

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