‘東北関東大震災’ カテゴリーのアーカイブ

民意無視!?

2020 年 11 月 15 日 日曜日

img_20201112_134401宮城県知事 村井さんの すかすかさが

全国的にも 注目されちゃってる

いろんな大人の事情あるから…とか いうことか

女川原発再稼働についての「国から言われてるしおっけしちゃえ」みたいなやつ

県民投票とか

地元の方々の声 聞き流してる?

原発ある方が 潤うから て いうひともいるけど

あんだけ 震災後の 収束つかなさに 苦しんでる の まのあてりにしたはずなのに

ばかなの?

河北新報でも ちょっといかがなものか論調で

一面に 載ってたよな

多々良 哲さんの 顔本投稿から

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再稼働同意表明の記者会見で、村井知事が読み上げたコメント文は酷い。宮城県民として恥ずかしい。
原発の「必要性」については旧態依然とした”最適なエネルギーミックス”論。「安全性」については”規制委員会が合格出したから安全だ”論、「避難計画」については”国の原子力防災会議が了承したから大丈夫だ”論。すべてが完全に国の言いなりで、県民の生命と暮らしを守る立場からの知事としての見識はなにも無い。

しかし何よりも許しがたいのは、住民説明会、女川町議会、石巻市議会、県議会、そして市町村長会議等で示された「県民の皆様の御意向」に沿って決めたという論理展開になっている点だ。
実際は、村井知事は「地元同意」プロセスにおいて、県民の意見を直接聞くことや県民の意向確認をすることを一貫して避けてきた。説明会も議会もすべてセレモニー化することで、そこに「県民の意向」が入り込むことを阻んできた(”ほころび”はいくつもあったが)。にもかかわらず、言わば「宮城県民が決めた」ことにされている。

初めから「国策ありき」「再稼働ありき」という明確な意図をもって自分が主導してここまで進めてきたくせに、あたかも自分は無色透明で「県民の意向」をとりまとめる中立の立場であるかのように装ってきたことが一番ずるくて、いやらしい。自分は決して矢面に立たず、立地自治体、県議会、市町村長らに責任転嫁しながら、最後は「苦渋の決断だった」なんてまったく白々しい。村井知事は絶対に「苦渋」など味わってはいない。

この会見で村井知事がアドリブで言ったコメントはもっと酷い。原発事故と交通事故や食中毒を同列に論じた(これについては別の投稿で詳しく取り上げる)。県庁知事室へ抗議のメール、ファックス等を集中する運動を提起したい。

7daysbookcoverchallengeSpinoff「震災後」その二

2020 年 9 月 29 日 火曜日

ごっつりよみごたえもともとは コロナ禍のなか

快適に乗り越えていこうよ

本を読む時間で 豊かにすごそうよ…てなことから はじまったようだ

7days book cover challenge

でも そういう波って

さっさと 引いてゆくのね

面白いのにね

んだもんで

そこから勝手に 派生させて 続けてる

ワンテーマの 7日間

題して #7daysbookcoverchallengeSpinoff

今週は「震災後」

復興 終わってなんかないかんな

201103111446

あの日から始まって 続いて行く 震災後という日々

風化させちゃいかんよ

喉元過ぎてる感 ありありの 己の自戒も込めて

二日目

『福島第一原発 廃炉図鑑』開沼博 編(太田出版)

お友だち繋がりの 吉川彰浩さんも 執筆しておられます

なかでバリバリ働いておられたものの

何とかして行かねば を 実現させるために 中にいるだけでは どうしようもない と

退社なさった

目先の改善ではなく未来に繋ぐ 具体的なことを

地域の方々と 共に 考え作り上げて行く活動

アプリシイトフクシマワーカーズを 立ち上げた お方

元社員としての 知識をいかしまくり

学習会も あちこちで 開いておられる

仙台YWCAにも 来ていただいたっけな

頭ごなしに 批判だけしに来る 獰猛な言葉をはくかたも お客様におって

どんなこと 言われても 穏やかに分かりやすく話してくださったのだ

情報を伝えて これからを考えていこうよ つってる人に 噛みついて どうすんだってんだよ…と

怒り心頭は わかるけど

その 硬化した態度に うすらさむくなったっけな

よくぞ 耐えてくださりました 吉川さん

近著に ツアサミズキさんとの 共著『福島第一原発と地域のの未来の先に…私たちが育てていく未来』という 小冊子あり

これからも 繋いで伝えて拓いていってくだされ

7days book cover challenge Spinoff「震災後」その一

2020 年 9 月 28 日 月曜日

もどれない故郷ながどろもともとは コロナ禍のなか

快適に乗り越えていこうよ

本を読む時間で 豊かにすごそうよ…てなことから はじまったようだ

7days book cover challenge

でも そういう波って

さっさと 引いてゆくのね

面白いのにね

んだもんで

そこから勝手に 派生させて 続けてる

ワンテーマの 7日間

題して #7daysbookcoverchallengeSpinoff

今週は「震災後」

復興 終わってなんかないかんな

201103111446

あの日から始まって 続いて行く 震災後という日々

風化させちゃいかんよ

喉元過ぎてる感 ありありの 己の自戒も込めて

一日目

『もどれない故郷 ながどろ 飯舘村帰宅困難地域の記録』長泥記録誌編集委員会 編(芙蓉書房出版)

昨年 福島YWCAとの 共同企画「原発事故後の福島の今をめぐるツアー」にて

飯舘村にも お邪魔させていただいて

長泥地区の 地区長さんたちにも お話をうかがった

あの日のこと

そのすぐあとのこと

いまのこと

これからへの 思い

笑っていられるようなことではないのだけれど

笑ってないとやってられないようなところもあり

なきたいよおこりたいよでもそれだけじゃなんもすすまねえんだよ 生きていくんだよ

除染後の 汚染土の保管も

「反対ばっかで 誰も引き受けねぇなら おれたちがこえあげるしかねえべよ」

わはは て

区長さんたら 朗らかに 笑ったけど

やけくそというわけではない

立ち向かっていくための

具体策のひとつ

諦めない

捨て置かない

までぇ(飯舘村的には「までぃ」)に 生きてきた 地続きのこと

この本は

現実の データと共に

それまでの しみじみと 美しい日々のこと

装わない 出来事への 感想が 綴られている

衝撃的な言葉ではないものの

打ちのめされる

なにに 打ちのめされるのだろう

美しく善良な暮らしを 破壊粉砕しておきながら

もう事が済んだように しれっとしてしまえる 仕組みを 繕うものたちへの怒りか?

それを 容易く 喉元過ぎさせてしまった 己の 迂闊さか?

忘れちゃだめだよね

逃げちゃだめだよね

また 行こう

なにか できるわけではなくても

そこで 「これからも 暮らすんだよ」 という

しなやかに したたかな方々に

希望の光を 照らしていただきに

行こう

閉じたり開いたり

2020 年 3 月 12 日 木曜日

楽譜手書きおひさま原っぱ保育園の 終了式も

若干 縮小する…とのことで

短時間濃縮!?プログラム

久しぶりに わたくしが 勝手に作った『おひさま原っぱ保育園のうた』(非公式)やるのはどうかしら?と

園長先生が 言ってくださった

依頼されて作ったわけでもないし

でも 関わらせていただいて

こんなとこだなぁ こんな風にやっていこうと思ってるんだぁ てな気持ちで 生まれたもので

今でも 出勤の 車の中で 歌ったりしてるもんで

覚えておる

取り急ぎ 楽譜をまた 書いた

書き終えて 14:45(3月11日)

あ…と 黙祷などしよう と 思って 目を閉じたりもしたけど

お昼寝時間の 静かなときとはいえ

少し前に 微弱な 地震もあったりして

注意怠りなく

すぐに 目を開けてしまった

雑な黙祷

いや でも 思う気持ち

繋いで伝えて行く気持ちは

揺るぎなくある

健やかさんたちが これから のびのび たくましく生きていってほしいしね

今いる現場を 優先しながら ゆくのだ

思い新たに

すすめ

馬鈴薯と 小松菜の 味噌汁 9年目の朝

2020 年 3 月 11 日 水曜日

馬鈴薯と小松菜の味噌汁馬鈴薯と 小松菜の 味噌汁

今日一日の 流れを 考える

取り立てて 変わりはない

「いつも」のように

気構えしすぎずに ゆこう

この 平穏な「いつも」が

いつまでも「いつも」で あり続けますように と 祈る思いを 抱く

3月11日 9年目の朝

込み上げてくる怒りのこと

2020 年 3 月 2 日 月曜日

まだまだまだまだ

福島はオリンピックどごでねぇ…て

ずっと声聞いてるけど

昨年訪れた 飯舘村の 帰宅困難地区 長泥の 方々からも 直接うかがったけど

聞き入れてもらってない有り様

こうなったらコロナ騒ぎで オリンピックどごでねぇ て なるがいいのか なんてことさえ思ってしまう

ネット記事から

うっかりじっくり

2019 年 11 月 24 日 日曜日

img_20191124_075911img_20191124_080110img_20191124_080216img_20191124_081449img_20191124_081537img_20191124_081738img_20191124_081849img_20191124_081933img_20191124_082051img_20191124_082807img_20191124_083110img_20191124_083259img_20191124_083500img_20191124_083656

昨夜

炬燵で ちどごろ寝してしまい

こりゃ いかんな と

寝直すため

小片付け テレビのチャンネルNHKにするとか(わたくし 朝 ほぼ テレビは観ないものの ちちははの習慣で 朝起きたら まずNHK…だもんで)

…したらば『誰が命を救うのか 医師たちの原発事故』てな 番組をやっており

ついうっかり…しかし しっかり 観てしまった

あぁ 喉元過ぎさせてる

六月に 帰宅困難地区の方々のところや 今も 休むことなく 収束させるために 立ち働いておられる方々に お会いして

も少し 何とかするためのことへ 寄り添い続けねばならぬ!と 心引き締めたのにな

その後

日々に 忙しないふりをして

その息抜きと称して だらりん…と しとるぞ

いかんな…

テレビ画面を 写して 載っけるなんて よろしからぬことだが

備忘録的に 何枚か…

今あることを 忘れず

うつつを抜かさず ぢびたに 足をつけて

本当に大切なことを ひとつひとつ

あの日から 始まった日々に 思ったことを

改めて 生きる

活かす

つなげてゆく

しかし こんな真夜中でなく 早い時間に 放送してほしいもんだわ

隠蔽 言い訳 嘘塗り重ね 己の根城を 守り保つためだけの 腐った垣根を 乗り越えて

困難が救われ

必要に 届くような 確かな 一足のために

つなげ つづけてゆくこと

2019 年 7 月 2 日 火曜日

伝わるかたちで繋いで行かねばね先週の 原発事故 八年目の福島 体験学習ツアー

まだ 咀嚼できぬ部分 多々あり

しかし 生々しい思いのうちに なんとか 少しでも 受け渡しておかねば と

じりじりしたり ひりひりしたりしながら

伝わる形を模索した その後の一週間でありまして

何人かのかたから「ずっと 福島に行ってたのですね?」てなことを 労われ

いやいや 行ったのは ほんの 1日 2日なのですよぅ と 応えること 何度かありましたる

それだけ この短い時間に あるまじき!?情報量の多さ 濃さでありました

よくぞ 組んでくださった 事務局の方々

企画側の立場に近いところにおったものの

わたくしがやったことといえば

この企画に 財団の 年間予算から 支援額を決める 全国総会のときに

最後の決め台詞「福島で会いましょう」を 叫んだだけ

お陰で(余計なことやらずに 出番が最後だけだったお陰で!?) 全国YWCA代表会員の方々の 投票によって 最高額の支援いただくことができて

結果 この 得難い 素晴らしいツアーが 実現したわけなのでした

何の尽力もせぬまんまではありましたけど

感無量

億劫がらず 参加して 本当によかった

喉元過ぎてしまっていた 痛み

今も 暮らし続ける人たちの 思い

受け取ったからには

これからも あきらめずに 橋渡して行きたい

届く形にして 手渡してゆかなければならない

知った者として

知らずにいてしまった者としての責任…

そんなことを思うのでした

楢原遠隔技術開発センター

2019 年 7 月 2 日 火曜日

日夜 収束に向けてパスで ドア開閉概要説明技術の集結写真撮っていい ぎりぎりのとこでっけえええぇ模擬水槽ロボコン支援ドローンをとばす計測画面を人の入って行けぬところへ

JAEA…正式名称は 国立研究開発法人 日本原子力研究開発機構 楢原遠隔技術開発センター

東京電力福島第一原子力発電所(1F)の 廃止措置や 災害対応等に 対応する 遠隔操作機器の 開発や 実証試験が行えるところ

一般の人たちにも開かれている 施設とのこと

事前相談と 利用申請のための 書類審査などを経て 利用可能なのでした

はじめに 研究管理棟での 概要説明の後

没入型バーチャルリアリティシステム(VR)で 福島第一の 原子炉建屋内 模擬空間体験

ちみっと 画面酔いしてしまった…とほほ

その後 試験棟に移動

実規模実証試験エリア…実際の 原子炉格納容器の試験体の設置された でかいでかい 建物のなかにはいる

要素試験エリアは ロボット試験用水槽 福島第一の 施設内のあらゆる階段の模擬(階段を移動するロボットの実証試験)

そして 高速度カメラのついた 飛行ロボット…ドローンの 操作と その 計測画面を 見た

最新技術の集結で 収束に 向かっているところ

高校生などの ロボコンなど だいぶ 盛り上がってるけれど

そういった若者たちの技術開発の支援も 行っているとか

しかし ことは進んでいないということ

再び 研究管理棟に戻っての 質疑応答にて

「いつ取り出しを行うのですか?」

「取り出しは可能ですか?」と 質問が飛び交う

取り出す現場には こちらの 技術開発に 携わった人ではなく 東京電力のなかの 技術者がおこなうので

管轄外 とのこと

センターにおられる方々は 国からの予算が出てはいるけれど

国家公務員ではなく

ましてや 東京電力社員でもないのだ

「技術の開発と 提供だけなのです」とのこと

そして 燃料デブリ 取り出しは「可能です」と きっぱりおっしゃるが

「しかし 取り出したあとの 処置について かなりの難題があるので…」と 複雑な表情でおられた

なんて 簡単にはいかぬことばかり 山積みなのだか!

でも その山を どうにかせねば と

のぼり

きりひらき

平らかにしてゆこうと 邁進なさる人たちがいる

これは 希望の光でもあるのだ

「来て 見て 知ってくださって ありがとうございます」

力強く 朗らかに 手を振って 見送っていただいた

こちらこそ ありがとうございます 頼みます!と

びゅんびゅんと 手を 振りかえした

国道6号線(帰還困難地区)を ゆきながら

2019 年 7 月 2 日 火曜日

工事そのままでときがとまるお墓参りに訪れることもなかなか叶わぬ第二だっけ?田んぼだった入れません入っては行けませんくずれおちてゆくこれから除染!?ここもたんぼだったニュータウン

浪江町大平山霊園から 楢葉町 遠隔技術開発センターへ移動のバス(国道6号線 帰還困難地区)のなかで

引き続き 清水修二さんからの お話

帰還困難地区の除染は これから始まる

しかし 周りの除染が済んでも 人の住んでいなかった家は 住むことができなくなっているものが多い

家も「死ぬ」のだ

普段 住んでいる家では たいして掃除などせず 屋根のメンテナンスなどもしていなくても 住む形を 維持していてくれる

しかし 人が住まない建物は 誰踏まずとも 床が抜け 屋根が崩れ落ち 壁も 剥がれていく

そこへ 獣らが侵入もしたりして 崩壊へと 後押しする

帰宅できますよ といわれ

補助がなされたとしても

作り直そうという 気力財力のある人は そんなに おられるわけではない

年代もある

「帰りたいけど 若いものに任せる」と ことばを濁す そこで生まれ育って歳を重ねた人は 多い

解体しても その廃材は 汚染されたものとして 処分されずに 仮置かれる

かつて 原発の誘致で 沸いていた 浪江や小高には

当時の 町長さん(まつくらたかしさん 故人)が「多くの人が 原発を待っているかもしれないが 自分は 原発が安全なものかどうかがわからない わからないうちは 賛成しない」と 公言し

かなりの批判を受け

誘致に成功した土地をやっかんで「向こうには蔵がたって こっちは (貧乏なままで) 腹が立つ」という 揶揄が 流行したのだとか

町民への 啓蒙冊子は「間違ったことは書いてないが 大事なことは書いていない。放射能は危なくないとかいてあって そのあとすぐに 防護について書かれていたりして 実は 親切ではない」

双葉町に入って 道端の 放射線量 表示板 0.767μsv

大熊町 2.014μsv

「廃炉工事雇用はあるけれど 人工ゼロのまちです」

「富岡も 人が戻って来てはいるけれど お墓を守れなくて お寺が廃業に追い込まれています」

「ウクライナでは 内部被爆対策を しっかりやっていますが 福島では 外部被爆対策が先行しているようです。内外合わせたものが妥当なのですけどねぇ…」

被爆に関しての 健康手帳を配る話があるものの

福島以外に 避難しているかたのなかには 福島から来た と 未だに 口にしたくないから そういうものは「いらない」と いっているかたもおられるとのこと

「ここは 田んぼだったのですよ」という 藪を見る

「ここいらの 除染は これからなのです」かつての住まいの 崩れ落ちそうな 屋根を見る

何をどこからどうしたら うまくいくのだろう

しかし 手に負えん と 手放すことはできない とも 思う

あまりの 課題難題の多さに

次の見学現場に到着するまでに

あたまうしろのところが 煮え煮えに 熱くなった

しかし 笑店街として 住みよいまちとして 考え抜かれた ニュータウン建設をも 見る

不安の上に 建てられているとしても

前を向いている人たちがいる