‘東北関東大震災’ カテゴリーのアーカイブ

今年なりの

2019 年 3 月 12 日 火曜日

もぐもぐたいむ昨日は 出張タップ&ちょこっとパントマイム稽古 終わりに近づく頃

サイレン

「あれ?火事かな?」

「あっ 8年前の今…」と 口々に言い合い

黙祷に なだれ込んだ

稽古始める前は

14:46に 声かけて あの瞬間のこと 話したり黙祷したりしようか 迷っていたのだけど

稽古はじめたら うっかり その時間が近づいてるの 忘れかけてた

そんな ありかたも またひとつの 重ね

でも 忘れかけてた 丁寧さ

改めて ちゃんとやろう いかしてつないでいこう と 思う

どんなかたちでも こうしていられること 有り難く おしいただきながら

忘れていること

2019 年 3 月 11 日 月曜日

過ぎたものはもどらなくても今朝

ちちはは デイサービスに送り出す前に

八年前の 当日のこと

思い出し 話してみる

大分断片的

忘れてしまう しあわせと

忘れてしまった かなしみと

いろいろあったりなかったりしながら

今を大切に生きていこうね と

照れくさがらずに

敢えて言う

震災後 復活した 電波で 取り急ぎ 投稿したブログを 眺めて

人の心寄せてくださる あたたかさと 光を 思い出す

2019年3月11日 月曜日

2019 年 3 月 11 日 月曜日

烏賊の甘酒味噌煮足を見る

雨足が強くなってきた

温め直した 昨夜の 烏賊の甘酒味噌煮の 匂いが 充満する台所の 換気をする

今日も「いつも」を 暮らす

かけがえのない

今しかない「いつも」を

いつも以上に噛み締めながら

2019年3月11日 月曜日

朝御飯も食べた

踏みしめてゆく 足を見る

生きてゆく 思いを かえりみる

今頃 クリスマスのはなし

2018 年 12 月 31 日 月曜日

みたらし団子味おいしいよ broochケーキかわゆい順子センセ娘さん手作りクッキー

お仕事関係などで

格好きちんと厳かな 礼拝 クリスマスは あったものの

森家でも 一応やりました

どたばたしてたので

あちこち いただきもの 身繕い

まぁ 信仰心とかじゃないので

便乗してごちそう食べる日になってるだけなのですけどね

昔 クリスマスと言えば「とりもも」だったよね てんで

いかにも!な みてくれの できあいのもの買ってきたのでしたが

これがまた なんやら「みたらし団子」味

家族らに「食いづれぇ」と 不評

今後は やはり 見た目よりも 食べやすさだね てことで 総括

クリスマスケーキは 親戚 目黒家「brooch」の もの

あわあわした やさしいあまさで

ぺろっ と 溶け消えるようにいただきましたる

大沼順子先生むすめさまの かわゆい アイシングクッキーも

気分盛り上げてくれて

サンタさんだとか プレゼントとは無縁だったけど

「俺 退院でぎねがったら こうして家族四人で ご飯も食えなかったもんな…やっぱりいいな 家で食うご飯は…」て

父がしみじみ言ったこと

なによりの プレゼントと 思ったんだよ

ずっと めり~♪で いこうね

クリスマスチャリティーおのくん

2018 年 12 月 24 日 月曜日

クリスマスおのくんおのくんハウス

小野駅前 仮設住宅から 空の駅へと 引っ越ししたものの

そこには水道がなくて

おのくん母さんたちが バケツに水くんで運んでいた とか

その不便を 解消すべく

おのくん親バカサロンの 管理人 川村さんが

水道を引こう クリスマスおのくんキャンペーンを 展開(クリスマスキャンペーン受付は 終了)

瞬く間に 定員いっぱいになって締め切りになったものの

別のかたちでもいいから 水道引きに 協力させてもらいたいなぁ と 言ったら

その後すぐに 定員追加してくださり

昨日 無事 クリスマスおのくん 受け取ることができました

おのくんかあさんたち クリスマス 間に合わせてくださって ありがとうございます~♪

小野あたり ちょいちょい 通るのに

まだ「里帰り」実現できてないので

最初に 引き取った おのくん ともども

「里帰り」しなくちゃ

雪を呼ぶ風 野蒜海岸

2018 年 12 月 9 日 日曜日

雪を呼ぶおーい貝殻と海を見る小屋

また ふらふらと 寄った

野蒜海岸

貝殻と

流木と

石を 拾った

声や 気配は 拾えなかった

また なにかあったら 受け取り 渡しますから と

どこへともなく 呟いてみる

もう よし と できることと

できないことと

混在したまま

暮らしてゆくものだ

雪を 呼ぶような風

吹き抜けた

別じゃないよね

2018 年 10 月 7 日 日曜日

工事まだまだ続くあと何年かかるかね?

昨日の帰り道は

海に近い道を通った

まだまだまだまだ かかってる 復興道路

オリンピックなんて ほざいてる場合じゃねえだろうよ

経済効果とか

もう戻れないとか(戻れないとこまで持っていって戻れないと思わせてるだけ)

7年経った今 記憶を薄れさせて それはさておきにして

美しき アスリートたちの物語で 目眩まし

選手たちの志の美しさとか あるでしょうけれど

それを さておきにしたほうが

救われてゆく命は多いと思うのだ

それとこれとは別…じゃないのだよ

その後の災害も まるで 何の問題もなさそうに すすめてゆく

弱気ものに手をのべるふりをして

悔しい

「金回りがよくなくなった」といいながらも ずっと 海沿いの工事を請け負い続けている おともだちがいた

「お互い やってっこど違うげんとも よくなるためだもんな がんばっぺね」なんて 肩を叩きあったの

もう四年ぐらい前か…

今 どうしてるだろか?

また たまらなく 現場の人たちに 会いたい

野蒜で ひといき

2018 年 8 月 18 日 土曜日

あのときのままちょうどおぢちゃんがー

女川 現場入り

目指す時間より すこぅし おそくなっちまうけど

震災遺構 旧野蒜駅で

一息入れる

あの日からの 日々

より良くして行こうと

今も 奮闘なさる方々に 最敬礼しつつ

また ゆくぞ

船に近づく

2018 年 5 月 28 日 月曜日

乗ってみたいなど~ん地震のときのパンフレット

震災前から 何度か 呼んでいただいてる サンファン祭り

震災のあと

うちの電気 電波も 取り戻してから

どんな状態なのか おそるおそる 連絡をとったのだった

サンファンパークが 開園されたとき

結構 長期にわたって イベントが 催されていて

そこに呼ばれていた 芸人大先輩のかたからも「慰問がてら 訪ねて行きたいのだけど」といわれ

繋いだものの

「今は 避難所として ごったがえしているとこで まだまだ 来ていただく余裕がないのですが きっと 立ち上がって整えて行きますから そのとき こちらからお呼びするかたちにしてゆきたいので どうか待っていてください」という

なんとも こころ頼もしくなることばをいただいたのだった

あれから サンファンバウティスタ号の 復元船は 立ち入れなくなったまんまなのだけど

見違える 立ち上がりを見せているところもたくさんある

立ち上がるのって

一人一人の 思いの 熱さ 力強さなのだと思う

決して 政だのみだけではないのだよな

携わる方々 みなさんの まなざしやことばににじみでている

伊達政宗さんが 支倉常長さんを このサンファンバウティスタ号で ヨーロッパに 使節として 送ったのは

東日本大震災と おんなじ規模の 慶長の大地震の 二年後

震災復興への 希望の光を灯す目的であったのかもしれない との 見方もあるとか

今回 震災後はじめて 船の近くまで 降りていってみた

なんか ちょ と こみあげるもの あった

人の思い

力を

信じる力も 湧いてくる

ありがとう

旧 野蒜駅

2018 年 5 月 28 日 月曜日

プレート石巻方面に行くときは

すこぅし 遠回りだけど

野蒜海岸沿いの 道をゆく

変わってゆく

まだまだ 変わらない 震災後の道を…

旧 野蒜駅 震災遺構として 整えられぬままを残しつつ

整えられてゆくよ

遥かに見上げるあたりまで 津波がやって来た 印を見上げ

何かを受け取ろうと 空っぽの手のひらを 広げてみたりする