‘出逢い’ カテゴリーのアーカイブ

膝を打ったり 懐かしんだり

2020 年 5 月 25 日 月曜日

あいまいさを引きうけて昨日の昼下がり

腹這うて 本読みながら 用いたカップは

なんだかやたらと キラキラしてるやつ

ごーるでんふぁんたじーなごやちゃいな…と 読める文字

色ちがい 五客

前に住んでた家の 茶箪笥奥に 鎮座しておって

とっておきのよそゆきのかっちょつけるときにだけ

登場してた

一~二度 お客様のお相伴みたいなので

レモンティーとか サイフォン珈琲とか 飲んだことあるかもしれない

今も サイドボードに 入れっぱなしになってて

サイドボード内の 塗料なのか 湿気なのか

長年使っていなかったための

めたり とした 感触

あまりに不憫なんで

洗って 用いてみた次第

きらきら七色

なんか 気恥ずかしくなるくらいの ファンタジー

でも そんなに薄っぺらい感じでもなく

飲みやすい 唇の あたり具合

腹這いになって 飲んじゃ 失礼だわね なんて

誰にか 何にか 謝ってみたりもする

今 読んでおる本のうちの 一冊は『あいまいさを引きうけて 日常を散策するⅢ』清水眞砂子 著(かもがわ出版)

日常を散策するシリーズ ⅠとⅡも あるはずなのに

hontoさんでは 入手できませんになってて

おいおいおい!と 突っ込みたくなったものの

おじと 従兄が おる かもがわ出版だから

もしや 在庫あるかな?と 訊こうか訊くまいか 迷って

まぁ でも まずは Ⅲからでも 読み終えてからにしよう と 思ってたとこ

清水眞砂子さんには 30年ほど前 生身で お目にかかっている

落合恵子さんのクレヨンハウス主催の サマーカレッジの 講師のお一人だった

つまごいだったか?

結構な 台風近づいているとき

電車も とまってしまって

たどり着けないかも…の 不安で

駅から タクシーに 乗ろうと

長い長い列を 待っていたとき

「もしかしてサマーカレッジへ行かれますか?相乗りしません?」と 声をかけてくれた人がいて

あろうことか それは サマーカレッジでの 宿泊の 同室になるはずの人で

100人超える参加者の中の 同室かよ!?と

あまりの 偶然に 感動したりもして

そんな ただならぬ 幕開けの 記念すべき サマーカレッジデビュー

クレヨンハウスさんの 計らいで 同年代の人たちを 集めてくれた 部屋割りだった

そのなかに 清水眞砂子さんの 講座だけを 目的に参加した 「愛ちゃん」とも 同室になり

同い年のなか 彼女だけが 1つ2つ 年下で

でも 飛び抜けて しっとりと落ち着いて

とてもとても しっかりとした考えをもって生き抜いてきている人だった

夫婦別姓 合成界面活性剤全面拒否生活 納得いかないことはとことん追求する…

そんな 彼女に 大いに 影響を受けたのだった

参加者ほとんどが 熱狂して参加していた 新沢としひこさんと トラ屋帽子店の 夜のコンサートも

「私 静かに過ごしたいの…あとで 清水眞砂子さんと お目にかかれそうだし…」と

一人 部屋に 残って 本を読んでいたのだったな

清水眞砂子さんというと 真っ先に

石鹸シャンプーで 洗った 黒髪を 椿油を染み込ませた 柘植の櫛で 櫛梳る 愛ちゃんの 姿を 思い浮かべてしまう

まぁ そんな 清水さんそのものへのイメージより 愛ちゃんを 思ってしまっていたのだけど

この本をめくるたびに

んあああぁ!それそれそんなかんじのことおもってたのことばになかなかできなかったの!の 大行進

「あいまいさを引きうけて」ということばが

なんとも しなやかに より深く 受け止めるためのことであるか!と

はじめの いち にぺーじで ぞわぞわぞわ と 感動の 波が せりあがってしまっており

うわぁ

素晴らしい出会いありがとうございます

なんで 入手できませんのまんまか 理解できない

頼むよそこんとこ

そんな あちこち思いが 弾けとぶ

じっとしてても 心忙しい 昼下がりなのでした

見えないけど

2020 年 4 月 12 日 日曜日

あたたかな思いうなだれそうな 一歩手前の

自分でも まだ 気づかない

下りへと一歩 踏み出す その前の辺り

あたたかな お便りたちが届いて

ふぁ と 丸めた背中を のばすような感じで

あぁ しょんぼりしかかってたんだなぁ と

気づく

帽子屋トーリ×日々の衣の 麻希さんから「おっぺ 春の展示会」の やわらかな 思いと 光に満ちた パンフレット

手触りも ことばも ふわり と 麻希さんが たちあがる

昨年の夏「女川から未来をひらく夏の文化祭」で お会いした だけなのだけれど

その存在の まあるく やわらかい 風合いみたいなもの

ずっと 胸のうちに ふわりと残ってて

殺伐としたものものに 辟易しかかったとき

こんな思いを持った人が 誰かを思いながら こころ込めて衣を作ったり うたったりしてるのだなぁ と 浮かべるだけで 救われる

そしてもひとつ

大阪八尾に この人あり♪の プロボラ ガン家族をささえ続ける アロマセラピストだか マッサージ師だか かつて 湯灌師だったとか…やってること多すぎてなんていっていいかわかんないけど…とにかく 熱く温かく頼もしい たえさんから(紹介 長いな)

フィルター会社の 社長さんとの繋がりから 生まれた マスクと がん家族をささえる活動のパンフレットと 詩画集みたいなん

相変わらず すべての 経験を

活かして

より良いとこに繋げて 行動し続けてるんだなぁ と

勇気付けられる

あぁ

見えないけど 確かにある 手

そういうものに 支えられたり 救われたりしてるな

そんなこと 改めて しみじみと 思う朝

ありがとう

ありがとう

夕焼けや てこちゃんのことや

2020 年 4 月 5 日 日曜日

夕焼けとか てこちゃんのこととかほつれた メキシカンドビーの 裏打ちに 用いてみたのは

紋金紗に 手描きみたいな

夕焼けっぽい 柄

かつて 通いつめた 古道具屋「ざった屋」さんの てこちゃんから

ただ同然で 引き取った布

これ なんすかね?て 訊いたら

「踊りかなんかのじゃない?こういうの あなたしか 持ってかないから やるから」て

他に いくつか 見繕った 和服地とともに 袋に入れて寄越したのだった

今日は 曇って 夕焼けが いまいちだけど

これが かわりに なってくれるね

お店閉めてから 久しいけど

てこちゃん 元気かなぁ?

今年の お年賀のお返事はなかったなぁ

なんだか 無性に 会いたくなる人の 一人

店主と お客の 間柄だった だけなんだけど

身の回りに てこちゃんからいただいたものが

ものすごくあって

手持ち無沙汰でも

なにかしら 慰めになってくれるもので 満たしてもらえてる感じ

いつも 支えられてるんですよ~

きっとまた いつかどこかで…

思い出など あれこれと

2020 年 3 月 20 日 金曜日

「荷物整理してたら あやちゃんたちの中学時代の写真出てきたの あげる~」て

順子先生からいただいたもの

そうして 思い出など あれこれ また 転がり出てくる

順子先生からいただいたもの

中学時代

担任していただいたことはなかった

数学の 大沼順子(よりこ)先生

部活の顧問ではなかったけど

三年の時

文化祭が 一般公開しないことになり

そりゃねぇだろ!と 生徒たちの不満噴出

学校側に 理由を問いただす 全校集会のようなものがあったものの

結局は 決定事項を説得される流れに 終始するという

すったもんだ

順子先生は

生徒の側の 応援についてくださり

結局 一般公開は叶わなかったけど

その時 わたくし はいってた 演劇部を 全力で応援してくださったのだった(演目『身知らずの柿は残ったか』)

金八先生という テレビ番組が 始まった頃で
流行りに乗っかるように 似たような 突っ張り発生して

数々の騒ぎ 起こす学年ではあったけど

「突っ張り」代表格も

順子先生には「手出ししねぇ」て 言ってた

味方だって 思ってた

先生方の間で 浮いてしまってるようなことも 薄々感じて かばってさえいたようだ(突っ張る君たち 本人から聞いたぞ)

何かのきっかけで

敬虔なクリスチャンであることを知って

何人かの友人と共に

三浦綾子さんの 『塩狩峠』を 読み込んだり

聖書の勉強をするような 小さな会を

先生のおうちで させてもらった

高校辺りまでは そんなこんなで 接点があったものの

大学で みんな 散り散りバラバラ 離れた

短大卒業後

保育専攻科の 聴講生を 暫し続けて やめちゃって

やりたいことがあるようなないような…と

なんとなく人生に迷っていたようなとき?

しばらく離れていた よりこ先生から

とある不登校の生徒に「家庭教師みたいなの してほしい」と

連絡があったのだった

相変わらず あつくあたたかく 寄り添っておられるのだな と 感じ入りながら

その なかなかに つわものの お子のおうちに 行かせてもらった(族の 合図…バイクの噴かす音とか 教えてもらったっけな)

その後 また しばらく 年賀状だけの やり取りになったとこへ

早めに 退職なさって 新聞の読者記者みたいなん やりはじめて

その記事のひとつとして 是非 書かせてほしい…と

角田の しんたなさんちの倉庫 時々 天神小劇場になってたとこで やらせてもらった「もりあやこ故郷で錦を織るシリーズ 第二弾 TAP SHOTS TheTap-full time~タップてんこ盛り!の ひとときwith クリスチャベス」を

取材してくださった

それから また しばらく 密に お会いすることもなく

しかし おばと 繋がりもあるてことで

時折 話を聞かせてもらう程度

一昨年 おばと そのお友だちたちが タップとパントマイムをやりたい と言ってくださって

船岡に「ぶんぶん倶楽部」という 集まりができたとき

「小波(さなみ…わたくしのおばです)さん すんごく楽しいこと始めたんだって!?私も 是非やりたいんだけど うちに来てくれるかしら♪」と 連絡をいただいた

それから ほぼ 毎月 二回

先生の おうちにて 順子先生と 三女さんと タップ

ほどなくして 先生から「実は ピアノもやりたいの」と

タップレッスンのあと ピアノもやることになった

かつて やっていた バイエルの復習を と 先生からの希望はあったものの

本当にやりたい曲があるなら 後回しにしないで それもやっちゃいましょう と 提案すると

大喜びで 讃美歌などの 好きな曲を 示してくださった

食品ロスをなくす活動の 助太刀もしておられ

大手スーパーマーケットの 放出食品を ご自身のつてに 受け渡せないときは

「誰かに わたしてっ!」と 連絡をくださった

出張タップ稽古で 用いてる シートと コンパネ

順子先生が わたくしの車の後ろに 運んでくださった そのまんま 積んである

船岡の 教会(ヨークベニマルや マーブルマーブルに 程近いところにある)で

本日 午後三時から 前夜式

明日 九時半からが 葬儀

その人と 向き合う

2020 年 3 月 20 日 金曜日

空をみあげたりする そこだけではないあらゆるところにみちるということ突然 逝ってしまった 順子(よりこ)先生

ここ数日 あまりにも その仕草や声が そこいらに満ちている

かつての 恩師 と 生徒という 間柄だけではなく

ここ二年くらい 先生宅にお邪魔して

タップとピアノレッスンをさせていただいてた

その 出逢い直しの日々が

とても 大きかったと 改めて思う

本来なら タップとピアノ合わせて 一時間半

しかし お喋りさしはさみすぎて 二時間半くらいになっちゃったりもした

人生において

さほど 長い時間 ご一緒したわけではない

でも からだのもちいかたを じっくり向き合ってやるということは

何故 今ここに力が入るのだろう?とか

この動きに片寄り勝ちなのは こんな風に 心とからだが 構えてしまうのだな とか

体のあり方だけでなく

からだに向かうときの その人の 思いの向けかたも

じいいっと みつめ 繙いてゆくような時間

その人の 来し方 越し方…生き方に 思い巡らせることであり

その 過剰な力み よろしくなさに 気づいてもらって

より良いところへと ゆるめ すすみ

こころとからだ 解放してもらうに当たり

どうしても 精神分析的な 物言いになってしまうことがある

ごくごく 具体的な からだへの アドバイスを

「え~っ!?なんだか 今までの悩み 分析してもらったみたい!すごく納得した~♪救われるわ~♪」なんて 言ってくださっていた

先生の 特徴的でもある 明るさや 笑い飛ばしは

相手に 気をつかわせないための 気遣いの賜物で

これまで いろいろなものに 立ち向かってきた 力みでもあり

ひとつの 防御の方法でもあったりする

ゆるせないっ!と 思われることにも 熱くまっすぐで

すべてが素直に からだにあらわれているかただなぁ と

しみじみとしたのだった

開いてくださっていた

こちらも 覚悟を決めて 洗いざらい 開いていた

そんなひとときだった

濃密に 深く出逢うというのは こういうことなのだろうなぁ と 思う

あぁ

考えたとて

「かなしい」は 「かなしい」まんまだけどな

出逢い

出逢い直させていただいた 得難いひとときを

ありがとうございます

なんでよ!?

2020 年 3 月 16 日 月曜日

なんなのよ!?焦ったような声

おばからの電話

「おばちゃんなんで電話してっかわかる!?」と

なにもったいぶってっか…わかんない と 応えると

「おおぬまよりこさん 亡くなったって!」

…?

中学の時の 数学の 恩師

敬虔なクリスチャンで

聖書のお勉強などもこっそり 先生のおうちでやったことあって

思うところあって 定年前に 退職なさって

市民記者として ボランティアみたいに 町の話題を 取材なさるとき

(二十年くらい前)わたくしが 地元で タップのライヴやったのを 記事にしようとしてくださって

そんなこんなののち

おば繋がりもあって

よりこせんせいのおうちに出張して

三女さんと共に わたくしの 最新の タップとピアノの 生徒になってくださって

あのころのこと このごろのこと

あれこれお喋りも交えて

毎回 たのしく 笑ってて

天井に ぴょ~ん♪と 飛び上がるような はしゃいだ声で

「楽しかったぁ♪なんか救われたわぁ♪あやちゃんありがと~ あっちがうちがう あやこせんせありがと~♪」なんて 言ってくださってて

読み聞かせボランティアで わたくしの 貸出しした 紙芝居『ごきげんのわるいコックさん』が 大受だったのを よろこんでくださって

んだらば…と あと 二組 貸し出して

今月も 30日(月)に おうちに おうかがいする予定で

「船岡の教室の皆さんも コロナで 会場借りられなくなってるなら うちに来たらいいのに…あ でも みんなは 入れないかな きゃはは♪」なんて お茶目に笑って

今年か来年は どうにか 機会作って 舞台ご一緒しましょう♪て 言ってて

曲がったことが 大嫌いで

どこまでも 善意の人で

絶対原発反対で

角田に H.I.Sの パーム油原料の工場ができるって言うけど 環境破壊で大問題になってる パーム油用いるなんての 角田で許すなんて 恥ずかしい…て ネットでも 話題にしてたんすけど…と言うなり

「なにそれっ!?知らないなんなの 駄目じゃない!許せない!!」なんて 瞬間湯沸かし器みたいに 声あげたりして

…で

なんでよ!?

なんでかきいたとしても たぶんわかんないけど

「亡くなった」って

なんなのよ!?

「傷」のこと

2020 年 3 月 16 日 月曜日

一冊目のアルバム昨年 四月の ダンスブルームさん 舞台で

どストレートに『傷』なんて 題名の 作品やっちまい

でも わたくしにとっての ずっとずっと 抱えてきた思いの 根っこにあることなので

かなり 生み出しに 痛みを伴った日々だった(さほど 重たくも感じられんものだったろうけどさ)

いつかは 言葉でも 改めて 書かねばと思ってる…と 言ったこともあったが

んなこと だぁれも覚えておらんだろし 先送りしてた

しかし とある やりとりしてたら ちょっと そのことを 訊かれたもんで

覚えててくださる 奇特な方もおられるもんだ と 思い

いや それだけでなくて 自分の必要として

また 改めて「傷」のことに 触れてみる

一歳になって ちょっとしてから 硬膜下血腫の 手術をしたことについては

ちら と 書いたことはある

幼い頃から わたくしを知っている人たちは

ある程度 知っていることだったりもする

「ハゲのある子」

「頭に 手術跡がある可哀想な子」

「髪を二つに結っているのは 傷(禿)を隠すため」

「傷の後遺症で 長く生きられない可能性もある あやうい子」

「突飛な 行動は 頭の手術のせい?」

そんないわれかた

表で 裏で…

きっかけは ちょろからものの わたくしが 母が片付けをしている横で のぼりたがった 押し入れの下の段(下に引き出しがついていたので 二十センチくらいの高さのあるところ)へ

母が すい と 乗っけた

そのまま また 片付けを続けた 母

突然 火がついたように 泣く声

振り向けば わたくしが 押し入れから 落っこちていたと

からだのどこかが 変に 曲がった様子もない

けれど 心配で 自分の職場(母は 元 管理栄養士)である 病院に連れていった

「なんの心配もないわよ」と 検査することなく 帰され

しかし 食欲なく 泣いてばかり

じいちゃんが「ただごとでない 頭のことも心配だから また 病院連れてけ」と 言ったものの

翌日 母がまた 小児科に 連れていくと

「そういう 過剰な心配をするから 余計に ひ弱になって 具合悪くなるの ただの風邪気味だから 薬出しといてあげるから」と

「心配」に 気を悪くした 医者から

「たいそう嫌な顔」で 追い返されたのだそうだ

しかし その後 痙攣起こした わたくし

慌てて 再度 病院へ 連れていくと

今度こそ その様子に ただならぬ!と 医者も慌てて

救急車ではなく 病院の車で 大学病院まで 運んだ

押し入れから 落ちて 約 二週間後

結果 早めに止血していたら なんとかなったはずの 硬膜下血腫 でかくなっており

手術の成功率は 一パーセントあるかないか…と 言われたそう

成功したとして 後遺症が残らんとも限らん という状態

頭のことでは 名医の 東北大学病院葛西外科の 岩渕先生のお陰で 一命はとりとめた

焦った 地元病院は

毎日 じぶんとこから 看護師を付きっきり派遣した とか

ご近所の 新聞記者さんが「明らかな医療診断ミスだ」と取材に動いたのを 揉み消した とか

わたくしに何かあったら「山も畠も全部売り払ってでも 裁判にかけて戦う!(その頃 実家の小斎に 山やら畠やら 相続してもってたじいちゃん)」と 宣戦布告してた とか

大分 騒動になってたとのこと

ま なんとか その後 庇われながらも 元気な子に 育ったとはいえ

喧嘩などして 負かした…と思いきや「どうせ ハゲの癖に」と 切り札切られると

強がりつつも めげてました

感情的に「どうせ あたしなんか …」と くよくよし勝ちなとこ ずっと こびりついているのは

そのあたりから

今でも なかなか 自信もてない

その一方で「なんとかなるなんとかできる」の 根拠ない自信も同居してるけどね

「傷は 生き抜くことができた誰にも持てない勲章」というような ことばで じいちゃんが励まし続けてくれていた話(上記リンク内)

かわいそう…やら どう扱っていいか ビクビクした相手を ほっとさせる手だてとしての こちら側からの カミングアウトや お道化という 立ち位置に 転換させていったことなど

わたくしの「傷」としての話は さておき

母にとっても「傷」であったことについて

も少し…

そのことに 思い至ったのは 昨年か 一昨年

はじめに 診察した お医者が 今 認知の問題が出てきて

旦那と息子がやってる病院施設に 入所しているらしい と どこからか 聞き付けた 母

そのことについて「バチ当ててもらえた」と 言い放ったこと

そして「ずっと バチ当たれ て 思い続けた自分に バチが当たったんだと思う」と 自分の 左半身麻痺になったことについて ぼそりと 呟いたこと

自分のせいで わたくしを 傷物にしてしまった 負い目と共に

診察で「なんでもないのに」と 気を悪くした 医者の プライド 誤診のせい…ということを ずっとずっと 許してはいなかったのだ

手術のあと 風邪やらなんやらで 小児科に ゆくたびに 優しくしてもらって

わたくしとしては その お医者さんのこと 好きだったのだけど

母の目には 負い目があるから過剰に優しくしてるだけで 過剰に 注射させて 更に よからぬことやらかした(水疱瘡のときだったか 注射が神経に刺さり しばらく 左手が 動かなくなったことがあった)とか

わたくしに 気取られぬように ずっとずっと 恨み続け

表立って 貶めることなく

自分のなかだけで 憎悪を 熟成させていたのだ

苦しかったんだね…

頭の手術後 苦しがる わたくしの 体温を 30分毎に 計ったりしながら

「このまま良くならなかったら 八木山の橋から この子と一緒に飛び降りよう」という決心さえしてた母(やめてくれてありがとう)

傷をからかわれて 泣いて帰るわたくしを 慰め

こんな髪型(二つに結う)でなくて ばさっとしたい(結ばずにいたい)と 駄々をこねるのを 如何に 今の髪型が可愛いか 絵を描いて見せて なだめながら

泣きたいのは 母自身であったろう

今でも だいぶいぢわるなやつ…わたくしだけど

傷のお陰で

人が 見えぬところに抱える何かがあるのでは?とか

自分にとってなんでもないことでも 人にとっては痛みを感じるかもしれない ということに 思い至れるようになったこと

「傷」に 育ててもらえたと思う

お陰さまだ

断じて バチなんかじゃない

その お医者も

母も…

ただ 出来事があって

それをどう解釈するかは それぞれの 生き方だけど

人を 傷つけることなく

活かして 肥やしにして 楽しんじゃったほうが 断然良いに決まってる

だから これからも そんな風に 頑張れるよ

乗り越えるよ

宝物をありがとう

あなたの娘であることが 宝物です

初 さしのみ!

2020 年 3 月 7 日 土曜日

居酒屋パンチさしのみ焼き鳥盛り合わせモツのトマト煮込み?んまいサービス梅酒♪締めの味噌汁ごはんほしい

昨日の夜は 涌谷のナイスガイ かどぉさんが

角田丸森方面 訪問がてら「呑みましょう」お誘い くださり

そういや かどぉさんとは 震災後の 斎理屋敷での 斎理幻夜で お声かけてくださって以来の おつきあいなのに

一度も 呑んだことはない

初ですぢゃ

角田呑みのために

居酒屋panchさん経営の ゲストハウスにも 宿泊予約などなさったとのこと

panchさんにて 集合

何かの打ち合わせ というのでもなく

かつてのこと 今のこと

世の中のこと

あれやらこれやら とりとめなく たちまち 五時間!

近いくせに たまにしか 顔出さぬ わたくしに

panchのみなさん やさしすぎるううぅ(涙目)

特別サービスメニューが また 美味しくて

締めの 生海苔たっぷり あら汁?に

ごはんください て 言うとこだったぞ

あぶないあぶない

帰り間際

母からの 勘違い電話で どたばたな感じになってしまって

申し訳なかったす(母も あんちゃも 何事もありませんでした ほっ)

しかし 帰宅して体重はかったら 人生最大目方更新しとったぞ

やややや

でも きっと 楽しいお酒だったから ほどよく消化するであろ…てとこに 望みかけて

ほんに ありがとうございますた~♪

ご無沙汰はしもっつぁんと

2020 年 2 月 4 日 火曜日

すばらしいんだ はしもっつぁん森の時間土偶の宇宙譽田さん

仙臺薬局から 小走り 七秒

BIG ISSUE販売員 はしもっつぁんと

おひさしぶりですあけましておめでとうございます ご挨拶

遅れ馳せ 年賀 お渡ししようとしたら

昨年の 5月1日号『森の時間』掲げてにっこり

「ちゃんと 覚えてますよぅ」とな

この辺りから ずっと買えてないこと…ということもあるかもしれないけど

わたくしの 名前 覚えてますよ てこと 言ってくださった

うれしひ

最新号と その前の

そして 『森の時間』の号と

二年前の 土偶の表紙のやつ…じょーもぴあ宮畑での 講演会で お目にかかった 譽田亜紀子さん 載っておられた♪

寒い季節は しんどそうだけど

相変わらずの 読み込みっぷり と

問えば すぐさま 引き出し開けて それについて こたえてくださる すばらしさ

やはり アイドルはしもっつぁんだ

これからも よろしくおねがいいたしまする♪

「治す」というよりも

2020 年 2 月 2 日 日曜日

仙台整体会ぜひまたもう 一昨日のことに なってしまった

「旅する整体師」木村理恵さんの 整膚 硬膜整体の 施術 してもらってきましたる

数日前 予約申し込みの段階で

前もっての 不具合 問われ

それについての 緩和の 対策のアドヴァイスもいただいた

「今もう 施術は 始まってると思ってくださいね」とのこと

施術の場では まず お喋りや

症状を 改めて 伝えたり

動かしてみての 反応を 見たり感じたり伝えたり

「やりとり」

息に 添う

まさに「呼応」だなぁ と しみじみ 感じ入る

ゆるりと 施され 動かしゆく ひととき

こんなに やさしく 触れることでも

明らかに 変化してゆく

つながり 流れを ふまえ

一方的に「治す」ではなく

その人が「治る」に向かう 導き

もしくは 伴走なのだな

理恵さんの 施術で 劇的変化をなさった 持病持ち的 高齢の 御婦人たちの おはなしも聞いていた

わたくしの場合

細胞たちが ざわざわざわ と 治るに向かう方向に 動きはじめた感じ

じわじわと 受け取った

確実に 和らいでいる 膝の痛み

片寄った ぶれに 陥らぬ 歩き方で 帰ることができた

ここ数日

もしや このまま 風邪っぽくなっちゃうかも…の「いが」やら

もしや 再び 眩暈的な症状がやって来るかも…の「ふわ」が あったのだけれど

それら ちみっと 表出してのち 流されてゆく

からだが 排出に向かう ざわめきの 感覚

大正時代からの ロングセラー民間漢方薬「きうれいこん」も バッチリですた

楽になってもらいたくて と ふんわり笑う理恵さん

ご自身は 熱くも 温かなその思いを より良く結ぶために 常に 深く学んで 行動に移してきた お方

からだによろしくないもの 一切用いずに 作られた 旅するピザ屋さん?

震災後の 放射線から逃れてきた方々を受け入れる バリの保養所

困ったことがあれば 国境も何も 関係なく そこへと 駆けつけて より良くしようとなさる 心のフットワークの軽やかさ…

その越し方を あらわせば ドキュメンタリー番組何本ぶんになるか!?てな 行動力の人

なのに…いや だからこそ 謙虚におられる

今回の施術で 受け取った お金は そのまんま シンガポールで 受け入れられてる アフガニスタンと ロヒンギャからの 難民の女性の方々へ 施術しにゆく 費用へと 活かしてゆくとのこと

安全圏確保して 物言うだけの輩とは 確実に 一線を画する

ああぁ もぉ 痺れる

…なはんて あまり 言うと また 謙虚に 照れてしまわれるかもしれないけど

わたくしなんぞが 語り尽くせぬほど

もんのすごいはたらきなさってるのだ

今日も 大阪で 旅する整体師 理恵さんは

確実に 人たちを 癒し治し導いておられるはず

理恵さんを真ん中にして やわらかにあたたかい波紋が ふうわりと 広がってゆくさまが 見えるようだ

どうか ゆく道のりのすべてが

さらに よきことに 結ぶものでありますように

んでもって また その 手わざの恩恵に 預からせてくださりませ

自分でも なるべく 壊れすぎぬよう 気を付けてまいりますけども~