「傷」のこと

一冊目のアルバム昨年 四月の ダンスブルームさん 舞台で

どストレートに『傷』なんて 題名の 作品やっちまい

でも わたくしにとっての ずっとずっと 抱えてきた思いの 根っこにあることなので

かなり 生み出しに 痛みを伴った日々だった(さほど 重たくも感じられんものだったろうけどさ)

いつかは 言葉でも 改めて 書かねばと思ってる…と 言ったこともあったが

んなこと だぁれも覚えておらんだろし 先送りしてた

しかし とある やりとりしてたら ちょっと そのことを 訊かれたもんで

覚えててくださる 奇特な方もおられるもんだ と 思い

いや それだけでなくて 自分の必要として

また 改めて「傷」のことに 触れてみる

一歳になって ちょっとしてから 硬膜下血腫の 手術をしたことについては

ちら と 書いたことはある

幼い頃から わたくしを知っている人たちは

ある程度 知っていることだったりもする

「ハゲのある子」

「頭に 手術跡がある可哀想な子」

「髪を二つに結っているのは 傷(禿)を隠すため」

「傷の後遺症で 長く生きられない可能性もある あやうい子」

「突飛な 行動は 頭の手術のせい?」

そんないわれかた

表で 裏で…

きっかけは ちょろからものの わたくしが 母が片付けをしている横で のぼりたがった 押し入れの下の段(下に引き出しがついていたので 二十センチくらいの高さのあるところ)へ

母が すい と 乗っけた

そのまま また 片付けを続けた 母

突然 火がついたように 泣く声

振り向けば わたくしが 押し入れから 落っこちていたと

からだのどこかが 変に 曲がった様子もない

けれど 心配で 自分の職場(母は 元 管理栄養士)である 病院に連れていった

「なんの心配もないわよ」と 検査することなく 帰され

しかし 食欲なく 泣いてばかり

じいちゃんが「ただごとでない 頭のことも心配だから また 病院連れてけ」と 言ったものの

翌日 母がまた 小児科に 連れていくと

「そういう 過剰な心配をするから 余計に ひ弱になって 具合悪くなるの ただの風邪気味だから 薬出しといてあげるから」と

「心配」に 気を悪くした 医者から

「たいそう嫌な顔」で 追い返されたのだそうだ

しかし その後 痙攣起こした わたくし

慌てて 再度 病院へ 連れていくと

今度こそ その様子に ただならぬ!と 医者も慌てて

救急車ではなく 病院の車で 大学病院まで 運んだ

押し入れから 落ちて 約 二週間後

結果 早めに止血していたら なんとかなったはずの 硬膜下血腫 でかくなっており

手術の成功率は 一パーセントあるかないか…と 言われたそう

成功したとして 後遺症が残らんとも限らん という状態

頭のことでは 名医の 東北大学病院葛西外科の 岩渕先生のお陰で 一命はとりとめた

焦った 地元病院は

毎日 じぶんとこから 看護師を付きっきり派遣した とか

ご近所の 新聞記者さんが「明らかな医療診断ミスだ」と取材に動いたのを 揉み消した とか

わたくしに何かあったら「山も畠も全部売り払ってでも 裁判にかけて戦う!(その頃 実家の小斎に 山やら畠やら 相続してもってたじいちゃん)」と 宣戦布告してた とか

大分 騒動になってたとのこと

ま なんとか その後 庇われながらも 元気な子に 育ったとはいえ

喧嘩などして 負かした…と思いきや「どうせ ハゲの癖に」と 切り札切られると

強がりつつも めげてました

感情的に「どうせ あたしなんか …」と くよくよし勝ちなとこ ずっと こびりついているのは

そのあたりから

今でも なかなか 自信もてない

その一方で「なんとかなるなんとかできる」の 根拠ない自信も同居してるけどね

「傷は 生き抜くことができた誰にも持てない勲章」というような ことばで じいちゃんが励まし続けてくれていた話(上記リンク内)

かわいそう…やら どう扱っていいか ビクビクした相手を ほっとさせる手だてとしての こちら側からの カミングアウトや お道化という 立ち位置に 転換させていったことなど

わたくしの「傷」としての話は さておき

母にとっても「傷」であったことについて

も少し…

そのことに 思い至ったのは 昨年か 一昨年

はじめに 診察した お医者が 今 認知の問題が出てきて

旦那と息子がやってる病院施設に 入所しているらしい と どこからか 聞き付けた 母

そのことについて「バチ当ててもらえた」と 言い放ったこと

そして「ずっと バチ当たれ て 思い続けた自分に バチが当たったんだと思う」と 自分の 左半身麻痺になったことについて ぼそりと 呟いたこと

自分のせいで わたくしを 傷物にしてしまった 負い目と共に

診察で「なんでもないのに」と 気を悪くした 医者の プライド 誤診のせい…ということを ずっとずっと 許してはいなかったのだ

手術のあと 風邪やらなんやらで 小児科に ゆくたびに 優しくしてもらって

わたくしとしては その お医者さんのこと 好きだったのだけど

母の目には 負い目があるから過剰に優しくしてるだけで 過剰に 注射させて 更に よからぬことやらかした(水疱瘡のときだったか 注射が神経に刺さり しばらく 左手が 動かなくなったことがあった)とか

わたくしに 気取られぬように ずっとずっと 恨み続け

表立って 貶めることなく

自分のなかだけで 憎悪を 熟成させていたのだ

苦しかったんだね…

頭の手術後 苦しがる わたくしの 体温を 30分毎に 計ったりしながら

「このまま良くならなかったら 八木山の橋から この子と一緒に飛び降りよう」という決心さえしてた母(やめてくれてありがとう)

傷をからかわれて 泣いて帰るわたくしを 慰め

こんな髪型(二つに結う)でなくて ばさっとしたい(結ばずにいたい)と 駄々をこねるのを 如何に 今の髪型が可愛いか 絵を描いて見せて なだめながら

泣きたいのは 母自身であったろう

今でも だいぶいぢわるなやつ…わたくしだけど

傷のお陰で

人が 見えぬところに抱える何かがあるのでは?とか

自分にとってなんでもないことでも 人にとっては痛みを感じるかもしれない ということに 思い至れるようになったこと

「傷」に 育ててもらえたと思う

お陰さまだ

断じて バチなんかじゃない

その お医者も

母も…

ただ 出来事があって

それをどう解釈するかは それぞれの 生き方だけど

人を 傷つけることなく

活かして 肥やしにして 楽しんじゃったほうが 断然良いに決まってる

だから これからも そんな風に 頑張れるよ

乗り越えるよ

宝物をありがとう

あなたの娘であることが 宝物です

この投稿は 2020 年 3 月 16 日 月曜日 10:33 に ブログ, 出逢い カテゴリーに公開されました。 この投稿へのコメントは RSS 2.0 フィードで購読することができます。 コメントを残すか、ご自分のサイトからトラックバックすることができます。

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