奇跡の一粒

たえこちゃんやぶかとのたたかいもあり奇跡の一粒茄子も枇杷も 奇跡的かも

七月二日

母のすぐしたの妹「たえこちゃん」の 命日

三歳そこそこで

逝ってしまった 人

関係としては わたくしの おばちゃんに当たるのだけれど

おばちゃんと呼ぶには 幼い 苺のシールに 縁取られた 肖像写真

しかし 幼い割には 大人びた表情の 「たえこちゃん」

この写真のとき 既に 病状よろしくなかった故の 表情だったらしい

苺が大好きで

病床にて「苺が食べたよぅ」と 言い続け

じいちゃん実家 丸森の 森 本家の 「ねえや」さん「女中」さん「こづかいさん」やら 働きに来ていた人たちが 手分けして あちこち 農家さんめぐって 探してくれた

結局 亘理の農家さんとこに 奇跡的に あって

それを食べてすぐ 亡くなったというはなし

くりかえしくりかえし ばあちゃんは 話していた

ずっと 幼いまんまで

「めんこくて」

「もぞこくて」(いぢらしいく 不憫であるような意味合い)と

嫉妬してしまうような思いも 浮かびながら その話を聞いていた

あんなに 次から次へと 鈴なりになっていた 苺は

6月下旬にはいる頃 ふっつりと 実りの時期が 終わる

毎年 命日には

苺のお菓子で お茶を濁すか

苺の乗ったケーキにするか…だったものの

今年は 奇跡的に 一粒だけ 実り残っていた

70数年前ならば ハウスの技術開発も まだまだであったろうから

苺が あったことは もっと 奇跡的だったのだろうな

そんなことをまた 繰り返し思う日だった

この投稿は 2019 年 7 月 3 日 水曜日 00:23 に たべもの のみもの カテゴリーに公開されました。 この投稿へのコメントは RSS 2.0 フィードで購読することができます。 コメントを残すか、ご自分のサイトからトラックバックすることができます。

コメント / トラックバック 8 件

  1. たみおば より:

    妙子ちゃんは私のすぐ上のお姉ちゃん。私は妙子お姉ちゃんが亡くなってから生れたので全く知らないわけだけど、父や母からはよく話を聞いていたので身近に感じてました。今でも耳のそばで聞こえるくらいどれだけ聞いたことか。「妙子はおまえら姉妹の誰より賢くてめんこくてなぁ・・・」って。母は妙子お姉ちゃんの話のときは、いま、きょうのことのように決まって涙を流していたものでした。
     また、小斉のおずんつぁん(あやちゃんのひいおじいちゃん)は「あれは腎臓の小児がんだったんだ。大学病院の医者の実験にされて殺された。大学病院になんてかがるもんでねエ!」と何度も怒っているのを聞いていました。
     いずれにしても小さい子が亡くなるのは耐え難いもの。
    最近の虐待やネグレクトの被害にあった子どもたちのニュースには本当に胸が痛みます。

    • bunbun より:

      ばあちゃんが 妙子ちゃんについて話するときの いとおしそうに かなしそうにいう声
      忘れられない
      ばあちゃんにとって ずっとずっと 大切な存在だったのだね

      あぁいう 愛の注ぎかたを思うと
      今の お子達に巻き起こっている 残念な出来事は
      その事件だけでなく
      起こしてしまった人の そのまた親のあたりの 欠落感とか
      根深いのだろうなぁ と おもう

  2. たみおば より:

     本当にそうだねえ・・・。今の歪んだ社会の構造的な問題で根深いものだと私も思います。
     ところで、あの写真の妙子ちゃんが着ている服ですが、私の記憶だと濃いピンクのビロード地。胸元はシャーリング仕立てで何色かの花の刺繍があって・・・背中にボタンがある少し長めのブラウスでした。当時としてはかなりモダンで贅沢なものだったと思います。
     私から小波ちゃんへとお下がりして、お出かけの時にうきうきしながら着た大好きな服でした。

    • bunbun より:

      森家の お嬢様たち
      かなりモダンな服ばかりだった…て はなし

      母は「見たこともない鮮やかな色に リットル刺繍してあるスカート」で 恥ずかしい思いをした とかもいってたっけな

  3. たみおば より:

     では、もうひとことふたこと・・・。
    私の小学校入学の時(昭和27年・1952年4月 今から67年前!)の晴着?は、紺のセーラー服だったんだけど、それがいま思っても斬新なデザインのワンピースで、胸元から裾まで折りひだが続いていて・・・白い大きなリボンが胸に飾ってあるものでした(目をつむると今もはっきり浮んできます)。子どもたちもみんな「もんぺ」はいてたころだよ~。私はすごく気に入って結構得意気だったのを覚えています。小才の石段の上で撮った記念の写真が母のアルバムにあると思うよ。
     何しろあなたのばあちゃんはおしゃれで新し物好きで・・・。小才で最初に自転車に乗ったのも、パーマをかけたのも彼女だったという噂を聞いたことがあります。行けつけの美容院は何と!仙台の「菅原美容院」でした。私もよくついて行ってはついでにパーマかけてもらったりして・・・。当時長い髪の子は両耳の後ろ側に三つ編みしてたらすのが定番だったのに、私はポニーテールに高く結って大きなリボンをつけられてました。男の子たちに「うまのしっぽ!」なんてからかわれたりもしたけど、私はむしろ得意でしたね。
     ああもう、話が終らないのできょうはこの辺で・・・。おやすみなさーい~
     
     

    • bunbun より:

      ふふふふふ
      ハイカラものの話は 伝説的だね
      散切り頭にしたのも パーマネント当てたのも 自転車乗ったのも
      丸森 角田で初めて と きいたった

      わたくし幼稚園のときも よく 仙台の「広瀬美容室」に 連れてってもらってた
      そんなこんななはなし また 角田にきて 母と 話してちょうだい

  4. たみおば より:

    そうだね!話、終らないよ、きっと。
    仙台の美容室「広瀬美容室」だったかも・・・。連れて行ってもらえないときは必ずクリームをたっぷりはさんだコッペパンがおみやげだった。それがまた楽しみで美味しかったなあ・・・。

    • bunbun より:

      幼稚園ずる休みして
      ばあちゃんの パーマやさんや 歯医者(懸田さん)についていってた
      お楽しみは 丸光デパートの 片隅にあった「いろこじゅーす」
      多分 果汁ゼロの 橙色の 10円で 出てくるやつ
      懐かしい

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